政治経済
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概略表(詳細は下で)
体制名 | 期間 | 由来等 | 特徴 | 崩壊の原因 |
ブレトン・ウッズ体制 | 1945-1971 | 行楽地ブレトン・ウッズから | 金ドル本位制 | ニクソン・ショック |
スミソニアン体制 | 1971-1973 | スミソニアン博物館で開催された会議から | 修正金ドル本位制 | アメリカの状態悪化 |
キングストン体制 | 1976- | IMF暫定委員会がキングストンで開かれたから | 完全変動相場への移行 | |
- ブレトンウッズ体制
- 別名、IMF=GATT体制。
- IMFとIBRD?を中心に戦後復興を目指して作られた体制。
- 通貨価値安定
- 貿易振興
- 途上国支援
- 自由貿易体制の確立
を目指す。
ブロック経済がWW兇鮠靴い浸に対する反省と、
戦後復興の為、世界経済を安定させる必要性に基づいて作られた体制
- 金=ドル本位制
Au1toz(troy ounce)=$35
での金とドルの交換を保証。
各国通貨はドルに対する固定相場制を取る(ドルペッグ)。
大戦で戦場にならず、強大な経済力をもった(西側で)
唯一の国アメリカの莫大な金準備に支えられた体制。
- 因みに1toz=480gr=31.034768gだそうで。
- 崩壊の要因
ヨーロッパの復興、アメリカの景気過熱とインフレを背景に、
アメリカからは大量のドルが流出した。
経常収支の悪化を防ぐ為に早晩アメリカがドルを切り下げるとの予測から、
ドル不安が起きたので更にドルが流出した。
具体的には経常黒字国の通貨(円・マルク)への投機が過熱したが、
当時は固定相場制で当局は無限の為替を保証していたので、
日本やドイツはドルを買い支えなければならず、
そうすると円・マルクの市中への供給が過剰になって
インフレになることが懸念された。
日独はインフレを回避したかったのでアメリカの過剰支出を非難、
アメリカは継戦と雇用維持のため財政支出を減らせず、
アメリカは体制放棄を決定、ニクソンは金兌換の(一時的)停止を発表した。
- スミソニアン体制
- ニクソンショックに因るブレトン・ウッズ体制の崩壊を受けて、
固定相場制再建を狙って各国通貨を切り上げてドル安にした体制。
スミソニアン博物館でのG10?会合で決まった協定に基づくことから。
- G10は米英伊蘭加典独日仏べのこと。
- Au1toz=$38
- 各国通貨の対ドルレート切上げ
日本円は1doll=360yen→1doll=308yenへ、16.8%あまりの大幅引き上げであった。
- 為替変動幅の拡大(±1%→±2.25%)
固定相場制と言っても実態は介入による為替操作ですから!
- アメリカ輸入課徴金の即時撤廃
- 崩壊の要因
スミソニアン協定を締結したものの、
米貿易赤字拡大、日独の黒字は続き、ドル不安は収まらず、
ドルの信用力を背景とする固定相場制自体の信用が低下、
197206にイギリスが変動相場制へ移行したのを皮切りに、
各国が軒並み変動相場制へ移行。スミソニアン体制は自然消滅した。
- キングストン体制
- 各国が個別に変動相場制に移行し、スミソニアン体制は崩壊していたが、
197601ジャマイカのキングストンで開かれたIMF暫定委員会で公式に
変動相場制に移行したため。
これに伴ってIMFの役割が大きく変化した。
- キングストンでの会議に先立って197511にランブイエで行われた会議が
第1回サミットである。
- この体制が現在も継続している。
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