ゼロ記号と折口信夫先生


久しぶりに中沢新一先生の評論に接した。それも新聞で。

5月29日付け佐賀新聞「天皇制を存続させるもの」である。 そこには折口信夫先生の「霊(スピリット)」について、書かれてあった。 なるほどと思ったので、ここに記載し、紹介したい。 「」内はそのまま引用させていただいた。

「わたしたちは、霊について思考する手段を今日ほとんど失ってしまったため、天皇制の核心部にあるものを、はっきり認識することができなくなってしまった。」と結びながら、「天皇制が直面している本当の危機」を、私どもに問うている。

中沢先生の論は、天皇制を「変幻自在の変貌をとげながら、歴史のなかを生き抜いてきた。」と位置づける。

天皇制の存続に関して、女性ないし女系天皇の可能性を容認する「権威を宿す器だけは確保したいという思考」の「幻想」や、天皇を存続させてきた原理を「男系系譜のうちに見出そうとする思考」にみる「社会性」と、議論は大きく2つあるが、何かが抜け落ちてしまっているのではないかということなのだ。

では何か。天皇制のシステムを持続させてきた原理はなにか。

キーワードは用意されている。

人類学でいうところの「ゼロ記号」と民俗学者の折口信夫先生にならえば「霊(スピリット)」である。

これを中沢先生は天皇制を「背後から支えてきた別種の力」、「自分自身ではシステムに参画しないけれども、そのシステム全体を背後から支え動かしている原理」、「信じがたいほど強靭な原理」、「明確なすがたも持たず、同一性すらもたないこの霊」が動くことによって、「歴史の激動をくぐりぬけて生きる、変幻自在な生命力をもった。」と説いている。

日本文明は、「合理化をまぬかれてきたシステム」を「ゼロ記号」や「霊(スピリット)」の働きとして、「いたるところにセットして、しかもそれを高度に洗練してきた。」

「わたしたちはいま、今世紀の「日本的霊性」について真剣に考えてみる必要がある。」

こう結ばれている。 私は読めたと思っている。

そして、折口信夫先生を拝読させてもらおう。 私の知人にも紹介しよう。

これが私のつとめだ。