文学的商品学


 「商品情報を読むように、小説を読んでみよう」――本誌の連載をまとめた、斎藤美奈子氏の新刊『文学的商品学』が小社より刊行された。デビュー作『妊娠小説』以来、十年ぶりの文芸評論となるこの作品は、「ファッション」、「食べ物」、「貧乏」などを切り口に、小説に登場する「モノ」の描かれ方を、八十二作品を読み比べ、痛快に論じている。本文中で風俗描写が「もっか図抜けている」と評された作家、金井美恵子氏は『文学的商品学』をどう読んだのか。小説における「描写」の魅力にせまる。

男性作家が描く「ファッション」

斎藤 『文学的商品学』を書こうと思ったのは、子どものころの読書を思い出したからです。翻訳物の少女小説なんか、出てくる洋服や食べ物の話が楽しくて、そんなところばっかり繰り返し読んでいた。でも、今の小説に「モノ」への執着を感じるものは少ない気がして。それであえて「モノ」から小説を読んでみたらどうだろうと。

金井 少女小説は、いわゆる描写というのはあまりないタイプの小説ですね。『赤毛のアン』や『若草物語』でも、貧しいながらに工夫して、洋服に刺繍の飾りをつけるといった、エピソードは出てきて、そういう日常的な家事や手芸や裁縫のことが細かく書いてあるのが、読んでいる年頃の少女たちに魅力的にうつるというのはわかります。共感できるものとして書いてあるわけです。

斎藤 結果的には八十作ちかい小説を引っ張り出すことになったのですが、連載中に一番反響があったのは、衣服や食べ物の描き方をとりあげた「風俗小説」の章でした。渡辺淳一、丸谷才一、金井美恵子三人一緒というのは、ものすごい組み合わせだね、と。こんなやつらと一緒にしてくれるなと金井さんに言われそうですけど(笑)。でも、三者三様の「描き方」の違いは、比べ甲斐がありました。金井さんの小説も洋服や食べ物の細かい描写が大きな魅力だと思うのですが、意識して情報を集めたりされるのですか。

金井 しないです。それが何であっても、重要なのは、どう書くかということなんですね。ものすごくレベルの違う金持ちの人間や時代劇を書いているわけではないから、普通に生活していると入ってくる「情報」だけで済みますね。男の作家は、丸谷才一がインタビューで答えていたけど、作中のファッションは奥さんにアドバイスしてもらうらしいですね。文は人なり、どころか、女房のセンスまで小説に表れちゃう(笑)。

斎藤 家族ぐるみだったのか。『女ざかり』で主人公の新聞記者が「グレイと黒の杉綾の絹ふうのプリーツ・スカート」を着ているという描写がありましたが、あれも、そうすると……。

金井 わけのわからない(笑)。「杉綾の絹ふう」って、ポリエステル地に「杉綾」がプリントしてあるんでしょうけど。ありますよね、そういうわけのわからないプリーツ・スカート。

斎藤 どこで売ってるんだっていうような(笑)。でも、杉綾は普通は織物のことですから、読むほうは混乱しますよね。渡辺淳一さんは、『失楽園』についてのインタビューで、今回はファッションをしっかり書きこみました、とおっしゃっていた。

金井 それは、その時付き合っている女かなにかに聞いたのでしょうね(笑)。でも、小説に限らず、文章はすべからく、自分が知っている以上のことは書けないですよ。洋服であれ思想についてであれ、結局、自分の身の丈から実は、一歩も出ていない。そうすると、無理もない気がします。

斎藤 じゃ、書かなければいいのに、とはならないのですね。本人はきっと、自信がおありになる。

金井 斎藤さんもお書きになっているように、泉鏡花や谷崎潤一郎はやはり凝っています。読む側に着物に対する知識がなくても、こういうタイプの女性はこんなものを着るのだと、書き分けている。

斎藤 そのまま絵にできそうです。

金井 気の強いタイプの芸者かなよなよしているタイプかが、読んでいてわかる着物が選びぬかれているのでしょうね。谷崎潤一郎も、着物にくわしい知り合いの女性や芸者に聞いて、小説の中で何を着せるか決めたと書いているけれど、そうしなければ、女の着物のことは書けないのでしょうね。どう書くかは別ですけれど、素材の充実が必要でしょう。

斎藤 広い意味での取材でしょうか。

金井 だから、誰に聞くかっていう(笑)、選び方の聡明さが作家の才能なんじゃないでしょうか。

斎藤 そして、聞いたことを、自分の中で消化して書くことができるかが第二段階ですね。

金井 実際のモノと結びついて、どんなタイプの人に着せるのか、具体的に把握できるかどうか。そういえば、三島由紀夫の描写を、斎藤さんは評価なさっていましたが、あれはどうでしょうか。

斎藤 ああ、三島はダメだとおっしゃりたい(笑)。そういえば『永すぎた春』だったかな、「春らしい灰色がかったトキいろのカクテル・スーツ」に合わせるために、同じ色の「春のレエスの手袋」を探しまわったという箇所があって、なんちゅう女だ、と思ったことがある。確かにセンスがいいかというと、よくないかもしれない。

金井 よくないですよ。『女神』でも、通俗小説ですけど、父親と娘が、一緒にバーに行って、洋服の色に合わせてカクテルを頼む。味はどうでもいいのかって。


すさまじい描写の「フード小説」

金井 「フード小説」の章も、それぞれ、すさまじいですね。辻仁成、村上龍、辺見庸……。

斎藤 辻仁成の『いまこの瞬間 愛しているということ』は、ちょうどこれを書いてるときに出たので、あなたの責任だから運が悪かったと思ってね、と急遽取りあげました。あのフランス料理の説明には誰もなにも言わなかったのだろうか。

金井 フェミナ賞ですから(笑)。

斎藤 料理評論家が地の文を語っている設定なのに、料理の描写が「墨絵のような」とか「油絵のような」とか。これでは料理評論家としてまずいのではなかろうか、と。出てくる料理について友人の料理編集者に聞いたら、「今、流行のパリの通俗的なあんちゃんシェフがやりそうな料理よ」という言い方をしていて。そういう意味では確かに、今の風俗に取材はしているけれど、それをバカバカしいと思わない感受性で書いている点がちょっと。

金井 天才シェフを主人公に選んだことが、そもそも失敗ですよね(笑)。

斎藤 私マンガには詳しくないんですけれど、たしか槇村さとるの『おいしい関係』だと 、不器用な女の子が努力して、技術や情感を身につけていく設定でした。

金井 辻仁成は、自分のことを考えれば、才能は多少あるけど不器用で、修行中のシェフの話にしよう、と思うべきですよ(笑)。どうでもいいんですけれど。

斎藤 修行中の女性シェフも出てくるんですけど、なにぶんそれが恋愛の相手なんで。

金井 まあ、辻仁成は料理や食物をセックスや肉体や死に結びつける描写をしていた村上龍や辺見庸に比べれば、かわいらしいんじゃないですか。マンガみたいで。

斎藤 辺見庸は「おそれいったか」という感じです。辺見庸を読むと、村上龍ですらいいやつじゃんと思う。ご馳走の話がキャビアにフォアグラで、すごくわかりやすい。

金井 私、村上龍がはじめて食べ物について書いたエッセイをはっきり覚えているけど、お父さんがよく作って酒の肴にしていた、青いピーマンの千切りと「ふじっこ」の細かく煮た昆布とを和えた料理が好物だ、と書いていた。どんな味だろう、と作ってみたことを覚えていますよ。「ふじっこ」を買ってきて。

斎藤 「ふじっこ」買ってきて(笑)、実際に作ってみる。金井さんは、そこがすごいんだ。

金井 村上龍のその後の小説の描写をみると、若いころ芥川賞をもらって、着々とキャリアを重ねて、いろいろなところでご馳走になったことがわかる(笑)。それが素直に出ていて、いつも成長物語になっているでしょう。どこかガツガツしているとこが、いいんですね。

斎藤 何についても素直に貪欲で、直球勝負のところが若い人に受けるのかもしれません。


生活感のない小説なんて信用できない

金井 こうして取りあげている小説を、読んで引用して書き写すときって楽しいでしょ(笑)。他の章でもそうですが、斎藤さんの「引用」の巧さね。ちゃんと笑えるようにできている。
v 斎藤 本当に読んでほしいのは引用の部分ですから。私が笑わそうとしているのではなく、元の小説がこうだから私のせいではないんです、と言ってます。音楽について取りあげた「バンド文学」の章は、大沢在昌の『新宿鮫』がおかしいと言いたいがために設けたみたいなものです。ただ、地の文も少しはないと成立しないので、仕方なく理屈をこねている(笑)。歌詞もすごいですが、音楽を表現するのに、「サウンド」という言葉を多用したり、「ギター」が「うね」ったり。

金井 「バンド文学」の章では大江健三郎も取りあげていましたが、少し擁護すると、発禁になった『政治少年死す』で、「オーキャロル」を聴きながらオナニーをするシーンは、音楽の使い方がなかなか良かったですよ。いずれにせよ、小説が一番古くから扱っていたのは、衣食住ですから、小説家はそこに力を入れて書くことがあるのですけれど、でも、どこかでもっと重要なのは精神性だとか思っていますよね。読む方もそうかもしれませんね。

斎藤 せっかく読むのだから、精神の栄養にしたいと考える。みんな人生論が好きですし。でも、衣食住に意識が向いているかどうかは、小説全体にも影響してくる気がします。私はそういう描写を読むのが好きだから、生活感のない小説なんて信用できん、と思ったりする。以前、 金井さんの『軽いめまい』の書評で、「金井美恵子ともあろうものがこんなことを書いていていいのか、もっと天下国家について論じるべきではないか」みたいなことを若い男性の批評家が延々と書いていて(笑)、ああ、このおもしろさが理解できないんだなと思って、可哀相だった。


小説家という商品〜作家的商品学

金井 この『文学的商品学』というタイトル、「作家的商品学」としても読み変えることができます


よね。でも、この中で扱われている作家で、作家として「商品」足り得ているのは、三島由紀夫と石原慎太郎だけでしょ。そこが、少し弱いかな。グラビア雑誌が多く出回りはじめた時期と重なったこともあって、三島と慎太郎から作家自身の商品化がはじまったわけですが、小説家という商品として、あの二人は通用していたと思うんですよ。その後、商品として成立する作家は、ちょっと見当たらないですけどね。

斎藤 確かに、ああいうスター性のある作家はいない。村上龍、春樹だって、少し違いますよね。

金井 村上龍は商品として「行政」系じゃない(笑)。『13歳のハローワーク』で、中学生の就職なんか心配していたくらいだから(笑)。大江健三郎だって初期のころは、商品化が目指されたわけだけれども(笑)、自分からさっさと降りてしまっているし。政治系に移行する人もいるでしょう。

斎藤 『文壇アイドル論』でその辺りを狙ったのですが、いまの作家は商品としては弱いですよね。

金井 やはりアイドルで、スターではない。それがいいか悪いかは別として。


批評を作家が読むということ

金井 『文学的商品学』の中で取りあげた作家には、本を送られたの? なんでこんなことを伺ったかというと、この間、加藤典洋が「一冊の本」で連載していた『小説の未来』がうちに送られてきたんですね。私を取りあげた項目もありましたし、私も、「一冊の本」に書いていますから、当然といえば、当然ですけれども。ご自分が「クソ」呼ばわりされた大江さんにも送ってるんでしょうかね。

斎藤 あの頃の「一冊の本」は本当にスリリングでした。加藤さんが、金井さんの『噂の娘』について書く。すると次の号で金井さんがすかさず、「加藤典洋の言っていることはおかしい」と応戦する。その横では小倉千加子が『結婚の条件』を連載している(笑)。PR誌には珍しくホットでした。

金井 でも、ホットにならないわけですよ。私が書いた後、加藤典洋が次の回で、「金井さんはああ言っていたけれど、自分はこう読むんだ」と書けば、ホットになる。書かないから、なりようがないんです。もちろん、どうお読みになって、どうお書きになっても、それは批評の自由ですけれど。

斎藤 現役作家を相手に論陣を張るという意味では、加藤さんも立派でしたけど。

金井 だから、斎藤さんもたとえば石原慎太郎や丸谷才一や渡辺淳一に送ったのかな、とふと思っただけなんですけどね。

斎藤 そういうことは考えないようにしてました。送ったら、わざわざけんかを売ることになるじゃないですか。自分がけんかするのはいやだ。

金井 大丈夫よ。大人の作家は無視します(笑)。

斎藤 たしかに私はすでに無視されっぱなしですけど(笑)。でもね、実は、金井さんもふくめて、作家の方に読まれるのが、一番いや。「読まないでください。お願いします」という感じで、いつもそーっと出しているのです。

金井 今回、『文学的商品学』を読ませていただいて、斎藤さんの批評の魅力は、やっぱり、今これだけ笑っちゃえるものが「文学」と呼ばれているのだと読者に差し出すところにあるのだと思いました。渡部直己さんがそういう文芸時評をやらなくなってしまいましたから、貴重です。

斎藤 渡部直己さんや秀実さんの時評で、勉強したところはずいぶんあります。でも、悪口の言い方という点でなら、私、金井さんのご本で一番学んだと思いますよ(笑)。それに、私はけなす気はないんです。ほら、こんなに面白いでしょと言いたいだけ。

金井 結果的に今の文学はこんなにひどいものだということを書いている(笑)。本当に批評するのに値する小説はあるんでしょうかね。

斎藤 ありますよ。金井美恵子だっているし、加藤典洋さんのご本にもいっぱい出てくるじゃないですか(笑)。