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1 二〇〇三年一月二十二日 稲葉学園南部本校 士官用宿舎

 「ん・・・」

 霧生舞虎は目を覚まして、うっすらと入り込む日の光を感じ取った。
 切れ長の目が開かれ、縞模様のパジャマで包まれた上半身がベッドから起き上がる。
 背は少し高く、髪はやや硬めの濃紺色で、顔立ちは十代半ばにしては気苦労を重ねたことを現すように、端正で凛々しい。
 
 「元也、朝だぞ」
 「あ、お姉ちゃん・・・」
 
 舞虎がそう言うと、太股に抱きついていた少年が声を上げた。
 双眸は大きく、舞虎との血縁を表してか、硬質な髪をしている。
 名前は霧生元也―――舞虎の実弟だ。
 
 「抱きつくのはやめろと言っただろ。いい年こいて」
 「いいじゃないか・・・お姉ちゃんだって満更でも無いくせに」
 「ヘヘッ」

 舞虎は元也の頭を一撫でした後、僅かに下卑た笑いを浮かべてベッドから降り、シャワー室へと歩いていく。
 一浴びして寝汗と眠気を払拭した後は、朝食が待っている。

 「おっ。嬉しいな」

 舞虎がリビングのソファーに腰掛けると、既に目玉焼きやトーストが用意してあった。
 士官用―――それも上級士官のために用意された個室は、下手な一軒家よりもよっぽど住みやすい。
 上の人間に媚びは売ってみるものだ、と舞虎はつくづく思う。

 「はいお姉ちゃん。コーヒー」
 「ああ。ミルクくれ」

 舞虎が砂糖とミルクをドバドバとコーヒーに叩き込む横で、報道部の流すニュースが次々に切り替わる。
 一人で戦車を十五台破壊した擲弾兵軍曹の活躍は特集が組まれ、悪化する東部戦線の模様は淡々とした報告とイメージ映像だけで済まされた。
 他には島外戦線や本国のニュースといった内容が続く。

 <<オターキングラード地区に対する北部からの増援が決定されました。派遣予定部隊は未発表ですが、少なくない数の師団が引き抜かれるとのことです。これに対しノルトランドの各校からは不満の声が・・・>>

 もう泥沼だな、と舞虎は心の中で呟く。
 去年の中頃に始まったこの大電気街を巡る戦いは理由を途中で失い、今では双方の意地とプライドだけが廃墟と化した町でぶつかり合っている。
 正直舞虎は、何故稲葉がこの町を攻めることになったかよく覚えていなかった。
 恐らく、他の内勤組や後方勤務の兵士たちも同じぐらいの情報しか持っていないはずだ。

 「いつ終わるんだろう・・・もうしばらくになるよ」

 舞虎はカップを口に運ぶ。
 後方にいて嬉しいことの一つに、代用コーヒーではなく本物のコーヒーが飲めることがある。

 「退こうに退けないんだ。稲葉はせっかく確保した町を捨てたくないし、白石はあと一歩のところまで追い込んだ第二軍を逃したくは無い。ところで、いい豆使ってるな、これ」
 「前線のことはよくわからないや・・・ちなみにそれインスタント」
 「そうか・・・。まあ、お前は戦争のことなんか気にするな。コーヒー、もう一杯くれ」

 舞虎が元也にカップを差し出した時、部屋に備え付けてあった電話が鳴った。 
 元也が早足で近付き、電話を取る。

 「はい。もしもし・・・ええ、わかりました」

 元也は受話器を抑え、舞虎の方を見た。

 「電話だよ。お姉ちゃんに」
 「朝食ぐらい食べさせてくれよ・・・全く」 

 舞虎はパジャマの下に手を突っ込み、腹をボリボリと掻きながら電話を取った。
 朝にプライベートを邪魔させるのはあまり気持ちのいい話ではない。

 「もしもし?」
 <<おはようございます大尉。緊急で一一〇〇時までに出頭をお願いします>>
 「今日の仕事場はどこだ?」
 <<今一番ホットな場所ですよ>>
 「オターキングラードか・・・」
 
  一瞬、舞虎は知らないフリをして電話を切ろうと思ったが、そうするわけにもいかないので続けた。

 「わかった。車は出さなくていい。シャワーを浴びたらすぐ行く」
 <<了解!朝食はこっちで用意します>>
 「もう食べてるよ」

 受話器を置き、舞虎は溜息を吐いた。

 「ハァ・・・」
 「またお仕事?」
 「ああ。帰りはわからない」

 舞虎はトーストを咥え、準備をするためリビングから自分の部屋へと向かおうとする。

 「わかった。荷物用意するよ」
 「すまないな。いつも」
 「ううん。構わないよ。こんな暮らしができるの、お姉ちゃんのおかげだから」

 舞虎と元也―――いや、稲葉に籍を置く多くの生徒には身寄りが無い者、あまり明るくない家庭の事情を持った者が多い。
 もし両親が蒸発でもしなければ、舞虎と元也は今頃傭兵まがいのことをやってはいないだろう。
 
 「帰って・・・きてね」
 
 元也が悲しそうな顔をしたので、舞虎は悪戯めいた笑みを浮かべて元也の首を掴んだ。

 「お姉ちゃんを馬鹿にするな!このこの!」
 「わっ!ちょっと、お姉ちゃん!」
 
 舞虎には一つの確信がある。
 元也という存在がある限り、自分は負けることは無いと―――。