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1 2003年11月2日 ザトミフ近郊 稲葉空軍野戦飛行場 

 古めかしいJu52輸送機から伸びたタラップを降りる時、天治間耶校防軍准将(てんじ・まや)は大きく背伸びをした。
 長い間座りっぱなしだったせいか、体のあちこちが痛い。

 「うぃーっと」

 雪のせいで泥濘化した地上では地上要員が慌しく走り回り、泥に沈んだトラックを兵士が十人がかりで引き出そうと奮闘している。 
 滑走路の傍らには白石戦闘機の残骸が雑多に並べられ、数知れぬ対空砲が空に向けられていた。
 西方公国、そして東方連邦共和国の間を隔てる海上に浮かぶ学園島は今、厳しい冬を迎えようとしていた。
 気温は氷点下にまで低下し、道路は泥に覆われてその役割を果たせなくなる。 
 "冬には何かがある"というのは稲葉・白石両軍兵士の口癖だ。

 「かーっ!相変わらずだなぁ、ココはよぉ!」

 そんな光景を見ると、不思議と間耶の心は躍り出すのだ。
 不謹慎なことだとわかってはいるが、彼女の心の奥底にある何かがアドレナリンを噴出させる。
 ここでは、生きている実感が味わえるのだから。
 髪は艶のある黒で、ポニーテールに纏められていた。濃緑の校防軍兵士の証である軍服に包まれた体つきは適度に筋肉がついている。
 
 「おしゃべりは慎め。旅行に来たわけじゃない」

 軽く背中を叩いて突っ込みを入れたのは、青い空軍の制服の上に迷彩色防寒コートを着た少女だ。
 上背があり、整った顔立ちが怜悧な印象を与えていた。首には申し訳程度に鉄十字章が巻かれている。
 
 「わーってるよマイコゥ。修学旅行ならぬ襲撃旅行を楽しもうぜ」
 「緊張感の無い奴だな…」

 霧生舞虎(きりゅう・まいこ)は小さくため息を吐き、タラップを降りる間耶に続いた。
 やけに楽しげな間耶とは対照的に、舞虎は強張った面持ちだ。

 「なーに緊張してんだよ、マイコゥ」
 「お前はエンジョイしすぎだ。マヤ」
 「ポジティブに考えりゃ地獄も楽しいってじいちゃんが言ってた!そういうこったよ」
 「君のおじいさんは随分なタフガイなんだな」
 「おうよ。タバコ吸わないのに肺ガンなって死に掛けたりしたけどな」
 「それは心強い」

 間耶は飛行機から降りるなり、キョロキョロと辺りを見回し始めた。

 「車来てるはずだけどよぉ、いねぇな」
 「ああ。見当たらん」

 二人は雪の上に立ち車両を探したが、それらしいものは見当たらない。
 間耶は准将で、舞虎は大尉。
 上級将校が二人もいるのなら、迎えの車が一台ぐらい来ても悪いことは無いはずだ。
 トラックはまだ雪に埋もれたままだし、悪魔の4連を積んだハーフトラックで迎えに来るほど稲葉の兵士は冗談が上手くない。
 間耶はある物を見つけ、おっと声を上げた。

 「あれ使おうあれ」

 間耶の指差した先には、輸送機から下ろされる大量の自転車があった。
 慢性的な車両不足に苦しむ稲葉ではハーフトラック等の配備が間に合わず、苦肉の策として自転車を"車両"という形で前線に送っていた。
 広がりすぎた戦線と、果てしなく続く消耗戦は稲葉機械化戦力をみるみるうちに消耗させている。
 物量で勝り、魔法少女を有する白石に対して稲葉は統率力、個人の超人的な能力で対応してはいるが、その均衡がいつ破られるかは怪しいものだ。
 今稲葉が優勢を保てているのは制空権を完全に握っているためであり、もし空を失えば稲葉の戦線は破滅的に崩壊するだろう。

 「いや…あれは…」
 「マイコゥ、自転車だって立派な車だぜ」
 「いや、それは私だってわかるぞ」

 お前が言っているのは、料理に使う包丁を危険だと言って逮捕するのと同じだ―――。
 舞虎はそう言いかけて、言わなかった。
 言っても無駄なことがわかっているからだ。

 「じゃあ行こうぜ。サイクリングサイクリングヤッホー!」
 「いいのか…」

 大きな不安を抱える舞虎を横に、間耶は自転車の山へと走っていった。