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マルクス主義革命家で、キューバのゲリラ指導者。マルクス主義の影響を受けグアマテラで革命運動に参加した。その後、キューバに渡り、反乱軍と合流して革命を成し遂げた。以後も各地でゲリラを率い革命指導を行ったが、ボリビアで政府軍の攻撃を受けて死んだ。 左翼的反体制運動の象徴で今でも崇拝している人も多い。有名な肖像は英雄的ゲリラという写真からきている。彼の死後はファッションやモニュメントにもなっていて各所で見ることができる。
特性にアル中とあるが彼は酒は飲む様な人物ではなかったらしい。しかし喘息であるに関わらずキューバの特産品でもある葉巻を愛飲していた。
2008年には彼の生涯を描いた前後編の映画も公開されたので、興味があるなら見るといいだろう。
参考:映画『CHEチェ 28歳の革命 | 39歳 別れの手紙』公式サイト
キューバの前国家元首。アメリカの傀儡政権だったキューバに社会主義をもたらした。アマチュアの野球選手(投手)としてメジャーリーグ選抜チームを相手に活躍、三安打無得点に抑えたことがある。元は弁護士であったが、キューバで議会選挙の際にアメリカの後ろ盾を持ったバティスタ将軍がクーデターを起こし当時の政府の座に着いた事に反発して、反乱軍を組織してフィデル政権を撤退させた。その後はアメリカ企業のフルーツ農園やホテルを国有化した事からアメリカに経済制裁を受け今に至る。今は健康不安から弟のラウルに地位を譲り現役を退いてる。
エビータの名前で有名なアルゼンチンの政治家。貧しい村に生まれたが持ち前の美貌を持って数多くの男性遍歴を経て、当時の軍事政権のペロン副大統領の愛人になり、ラジオでの宣伝活動に従事し下層階級の支持を得た。 ペロンが米国の支援を受けた将軍に投獄された際には釈放を呼びかけ、ペロン政権が誕生した後は政治家として活躍する。ファーストレディに就任以後は貧民への福祉政策(バラ撒き)で民衆に人気を博した。アルゼンチンでは未だに聖母の様に崇拝されている
エルサルバドルの大統領。
たたき上の'女'である。内戦後のニカラグアの大統領。
黒人下層階級出身の医師でハイチの独裁者。ハイチが政情不安定の中で黒人主義を掲げて、大統領に就任。 黒人優遇政策を採り公職から混血層を追い出して換わりに黒人を要職に就けた。 信仰していたヴードゥー教の地位を高め自分を魔術師として個人崇拝するように仕向け秘密警察を作って反対勢力を弾圧。 憲法を廃した後1964年にはハイチの終身大統領に就任。彼の死後は息子が政権を継いだがまもなく失脚してしまった。
エビータの夫。アルゼンチン軍の将官だったが彼女を愛人に迎え入れ、彼女の人気を利用した宣伝活動などで徐々に地歩を固めた。
チリの軍出身の独裁者。1973年に反共政策とってたアメリカの支援を受けてクーデターを敢行した。政権を奪取後はアメリカと軍の支援を受けて強権政治を行い、国内の左派を弾圧していた。クーデターから虐殺した人数は統計では10,000人を超えるとも言われる。 その後在任期間を延ばすように国民投票を行ったが、半数以上の反対を受けて退任した。 以後左派系活動者の誘拐・殺害を行った事から、病気療養先のイギリスで拘束されそうになるなど、帰国後は死ぬ間際まで裁判で罪状を問われる事となった。
「神、祖国、そして家族」「エスタド・ノヴォ」で知られるポルトガルの国家元首。元は経済学の教授であり、その経歴を買われカルモナ政権下で財務大臣の座につくこととなる。1932年に首相に昇格。以後、1968年までファシズム独裁政権を敷く事となる。
彼の晩年について、面白い逸話がある。1968年、サラザールはハンモックより転落、頭部を強打し意識不明に陥る。2年後に意識を取り戻すも、すでに別の人物が首相となっており、サラザールはすでに過去の人物と成り果てていた。サラザールの周囲の人間は彼のために偽の執務室、偽の新聞、偽の書類などを作り、サラザールにショックを与えまいとした。このため、サラザールは自分にすでに権力がないことに気がつかないまま、幸せのうちにこの世を去ったといわれている。
アナスタシオ・ソモサ・ガルシア。ニカラグアの独裁者。反米の闘士サンディーノを暗殺、反体制派を弾圧して大統領になった。ニカラグアは、サンディニスタ民族解放戦線の登場までの間、彼の息子ルイスやアナスタシオに受け継がれたソモサ王朝によって支配されていた。