人物紹介 / 麋竺


糜竺

徐州の富豪。陶謙・劉備に仕えた。
統率の才が無かったため指揮官に就いたことが無いことからゲームや創作では文官扱いされる事が多いが、正史では名家の主として武芸を嗜み、弓馬の達人であったと伝わる。
もちろん三国志大戦においても無視されている。

劉備軍のスポンサーとなっていた一方で自身も劉備を全面的に信頼していたようで、曹操から麋芳ともども能力を称えられて(あわよくば引き抜いてしまおうと)官位を与えられたりもしたが、後日突っぱねて劉備に付き従っている。
また曹操から評価された通り、決して財産だけのボンボンだった訳ではなく、劉備が劉表を頼る際には孫乾と共に使者として劉表に謁見し、交渉を成功に導いている。

劉備が入蜀すると諸葛亮・孫乾・簡雍よりも高い将軍位を与えられており、地位上は劉備軍でもトップクラスの席次に就く。
しかし弟の麋芳が関羽を裏切り、荊州を奪われる一因になったことを知ると、自らに縄を打って劉備の元に出頭し、深く詫びて処罰を求めた。
劉備は麋竺を処罰せず、むしろ慰め宥められたが、麋竺は弟を恥じる余り病に倒れ、1年後に死去。
己の生涯と運命を預け艱難辛苦を共にしてきた桃園三兄弟と、奇しくもほぼ同時期に世を去ることとなった。

弟の裏切りが元で憤死する、というのはゲーム『三國志孔明伝』でも再現されており、麦城の戦いで関羽を救えなかった(Win版ではどう足掻いても救えない。コンシューマ版では選択次第)場合は麋芳の裏切りを知り、劉備に「志をお叶え下さい」と伝えて(描写こそないが)憤死し、麦城の戦いで関羽を救った(コンシューマ版限定)場合は、麋芳の裏切りに対して「麋芳の愚か者め…」と憤慨してその後命を落とす事となる。
どちらにせよ、第二章以降では仲間として使うことは出来ない。

「爆風三国志 我王の乱」では陶謙の配下として登場。
主人である陶謙が劉備の人気に嫉妬し劉備を暗殺しようと目論んでいることを察知し、劉備に警告する。
しかし劉備は陶謙が差し向けた紫雲(漫画版のオリジナルキャラ)に殺されかけるが、不治の病に侵されていたため劉備を殺す絶好の機会に発作を起こした紫雲を、劉備は我が身を顧みず助け、紫雲はそんな劉備の姿を見て自分の行いを恥じ陶謙の元に始末を付けに向かう事となる。
劉備の元に駆けつけた糜竺、事の顛末を聞き主君の所業に「畜生にも劣る行い」と泣きながら憤慨する。
その後紫雲が陶謙を殺害し、紫雲が自害した事で主が居なくなった徐州の主に劉備を推す事となる。

麋威という子、麋照という孫がいたが、やはり麋家の主として弓馬に優れ、武官として働いたという。

誠実な人柄から、後世になり『捜神記』にて、このような逸話が書かれている。
ある日の帰り道に道端にいた一人の女性を同乗させ送り届けた。
麋竺の親切さに打たれた女性は、自身が火神の使いで、麋竺の屋敷を燃やす予定であることを打ち明ける。
さらに予定をキャンセルするわけには行かないので、急いで帰るようにと言われる。
言われたとおりに急いで戻ると家財道具を外に運び出し、火事の被害を最小限に留めたという。

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