人物紹介 / 趙娥


趙娥

父・趙安を殺害した李寿への復讐に燃えた女性。

フレーバーテキストの説明だけでは、彼女が魏将として登録される理由が明確でない。
(李寿を倒した時期は179年だとされる。趙娥の仇討ちを表彰した張奐は181年の没であり、黄巾の乱も始まっていない)
補足すると趙娥は曹操、曹丕に仕えた武将・龐淯の母。
正史の魏書龐淯伝に趙娥の補伝があるため、息子が魏将ゆえに母も魏所属扱いになったのだと思われる。
なお仇討ち当時はすでに息子がいたが、出仕できる年頃ではなかった模様。

前作三国志大戦3では龐娥という表記だった。今作で趙娥に変更されたので混乱する人もいるだろう。
これらの呼び名はどちらも正しい
というのも趙娥の記録は有名なところで3種類ある。
陳寿が龐淯伝の最後に紹介した記述、裴松之が三国志に施した注釈の皇甫謐『列女伝』、『後漢書』列女伝。
いずれも仇討ちを完遂した女性として書かれているものの、微妙に情報が異なる。
例えば父が趙君安という名前だったり、仇討ちを志してから果たすまでに10年以上かかったとされたり。
中でも皇甫謐『列女伝』では彼女のことを「龐娥親」と書き記している。
この名前はおそらくあだ名のようなもので、彼女自身の固有名詞は(後漢書では)字である娥のみ。
そこからちくま三国志では趙娥の伝記を「龐娥伝」と表記しており、コーエー三国志でも龐娥という名前で登場する。いちおう彼女のことを龐娥と書く史料物もある(上記の記録にはないが)。
本姓はもちろん父の姓の趙なのだが、大昔の女性は夫や子の姓で呼ばれるケースがあり、趙娥の場合は子の姓のほうが有名だったようだ。

ちなみに大戦内では烈女と名高い王異と同じ涼州の出身。
王異や楊阜らが馬超と徹底抗戦するよう働きかけたのも同州の姜叙の母。姜叙の母は馬超に捕われた際に馬超を罵り、結果馬超に斬殺され、その生き様を曹操に称揚された。
この地域には男顔負けにたくましい女性が多かったのかもしれない。