『後漢書』烈女伝に列伝される女傑。媛姜は字であるとされる。
益州犍為郡の人・盛道と結婚し、盛翔という息子を儲けている。
河北で曹操と袁紹が争っている頃に益州で混乱が起きると盛道は挙兵するも失敗し、夫婦揃って捕えられる。
夜中になると夫に
「私達はおそらく死罪になるでしょうから、こっそり逃げて家を興してください。私が残って罰を受けます」
と言って逃がそうとするが応じなかったため、枷を壊して食料と金を持たす。
さらに当時5歳の盛翔も盛道に手を引かせて逃した。
その後自身は獄吏を一晩騙し続けたが、盛道が逃げ切った頃合いを見計らって事実を告げ、即座に殺害される。
盛道、盛翔はその後大赦により故郷に戻るも、盛道は妻の義気に感じ入って生涯再婚はしなかったという。