人物紹介 / 賈逵


賈逵

曹魏に仕えた政治家。
司馬氏の腹心として活躍した賈充の父であり、西晋の二代目皇帝・恵帝の皇后・賈南風の祖父。
賈氏は元々は名門であったが、賈逵の両親が若くして没したため、裕福とは言えない暮らしの中で学問に励んだという。
子の賈充や孫の賈南風は権謀術数を好み、賈氏を血まみれの栄華とその後の破滅に導いたが、
その中興の祖と言える賈逵は勤勉・実直・堅実な人物であったと伝えられることが多い。

曹操の代から仕えており、馬超征伐の頃に弘農太守代理を引き受けると曹操と対面して気に入られ、
「天下の二千石(太守クラスの俸禄。転じて太守そのもの)が皆賈逵のようであれば心配はいらないだろう」
と曹操に評されている。
曹操が死去するとその葬儀を取り仕切り、後から駆けつけて魏王の印を求めた曹彰を毅然と突っぱね、
正統後継者である曹丕の許に棺を届けるという大役を果たした。

文官ではあるがその手腕は軍務・軍政にも発揮され、
特に今作の計略名にもなっている「賈侯渠」と呼ばれる、二百里にも及ぶ軍用の大運河を築き上げたことが有名。
また事務・後方支援のエキスパートと言うだけでなく、呉との戦いでは呂範を撃破するなど指揮官としても活躍している。

曹休とは不仲であったとされるが、正史では賈逵を取り立てようとした曹丕に曹休が文句をつけて撤回させたり、
呉軍に大敗した曹休を救出するも、「お前の救援が遅いから負けた」と言いがかりをつけられて弁明の上奏をする羽目になったり、
不仲というよりは曹休が一方的に敵視していた節すら見受けられる。
演義では石亭の戦いで周魴の偽投降を看破し進言したものの、逆に怒りを買ってしまっている。
それでも曹休の敗北を予見して退却を支援しており、後日曹休に感謝されている。

同僚と口論になった際に怒りのあまり額に瘤が出来、大きくなる前に手術で取り除こうとしたが逆に瘤は大きくなっていったと言われている。
ちなみにこの際、曹操は生存確率が余りにも低いと手術に反対している。
もしかするとこういった我を通す所が曹休に嫌われた原因なのかもしれない。