劉表の荊州平定に協力し、劉表の死後は曹操軍で高官についた豪族。
次姉が劉表に嫁いでいることはよく知られているが、長姉が黄承彦に嫁いでいるため実は諸葛亮とも姻戚関係にある。
劉表の後継者問題に際して長男・劉琦を差し置いて自身の甥である劉琮を推したのは正史、演義で共通するが、
荊州豪族たちにとっても荊州出身の劉琮のほうが受けは良かったらしい。
(もちろん外戚として権威を振るう野心があった可能性自体は否定できないが)
また、劉備を暗殺しようとしたことは蜀書『先主伝』にも記述があるが、
この時点で実戦経験豊富とはいえ流浪の客将に過ぎない劉備を、
荊州の大豪族たる彼が除くべき脅威と見ていたとは考えにくく、信憑性は低いとされる。
演義では劉備だけでなく劉琦も暗殺しようとしており、全般的に悪人として書かれている。
また、水軍に明るいことから赤壁では周瑜に警戒されており、
曹操のスパイとして周瑜のもとにやって来た蒋幹が掴まされた偽手紙を元に内通の疑いで処刑されている。
死後に蔡中、蔡和という親族が呉にスパイとして潜り込むが、これも開戦直前に始末されている。