荀彧の伯父にして董卓政権下で司空に就いた荀爽の娘。
『後漢書』烈女伝に記述があり、本名と字が明らかになっている。
17歳で陰瑜に嫁ぎ、19歳の時に娘を産むも程なく夫に先立たれてしまうと、操を立てるべく固く身を護る。
郭奕が妻を亡くすと父により再婚相手に選ばれ、「父の危篤」という名目で実家に呼び寄せられる。
父の病が嘘であり、再婚のために呼ばれたことを知ると激しく怒り、短剣を手にし「死んでも再婚しない」と拒否するものの、
女中たちに取り押さえられ郭奕の元へ連れて行かれてしまう。
郭奕の家の前まで来ると観念したふりをするが、夜通し語り続けることで郭奕に手出しする隙を与えず、
入浴のため一人にさせてくれと部屋に行くと「尸還陰(私の亡骸は陰家へ還すように)」と書いてから自害しようとしたが、
人の気配を感じると「陰」の字を書ききる前に首をくくって自害してしまった。
尚、この郭奕とは郭嘉の子とされているが、この話が遅くとも180年台と思われる(荀爽は190年没)ため、
生まれていてもまだ幼少であろう郭嘉の子ではなく、同名の別人という可能性が高い。