人物紹介 / 荀イク


荀彧

宦官と対立していた「清流派」の名士。「性悪説」で知られる儒学者・荀子こと荀況の末裔だという。

人格・才能・家柄・人脈全て完璧な彼の唯一の瑕疵が「妻が宦官の養女である」事であり、その為宦官嫌いの何進や袁紹には敬遠されていた。
一時は袁紹の元に身を寄せていたが、弟の荀遒籠韻五鸚遒僚仗箸任△訖鰭召登用されたにも関わらず荀彧だけは前述の事情もあり登用されず、一介の将軍に過ぎなかった曹操の元に参じ、曹操から「我が子房」と称される。ちなみに曹操も父の義父が宦官である。
(子房は前漢の建国者劉邦の名軍師・張良の字)

指揮官・参謀としての直接の軍功はあまり多くないが、大まかな方針を提案し覇業を導く戦略眼、そして何より荀攸・郭嘉ら数多の才人を推挙する人脈で曹操を大いに助けた。
荀彧に推挙された人で大臣にならないものはなかった、と言われるほどだった(不慮の死を遂げない限り)。

荀彧の人生において最大の謎とされるのが彼の死についてである。
一般的には後漢書の記載や、演義で描かれているように、曹操が魏公に就任することを反対したことで疎まれるようになり、最後には空の器を贈られたことで自身が用済みとされたものと察して自害した、というエピソードがよく知られている。
(少し解釈が難しいが、目上の者から贈り物をされた場合、当然、返礼や謝辞をしなければならない。
 この時、『贈られた器には何も入っていませんでした』と述べると、
 「私は確かに中身を入れたぞ。それに『何も入っていなかった』など、ちゃんと確認しなかった軽率、かつ失礼な奴め」と糾弾され、
 『贈り物を確かに受け取りました、ありがとうございます』と述べると、
 「あとから気づいたのだが、私はあの器に贈り物を入れ忘れていたのだ。それなのに『受け取った』など、へつらうあまりに嘘をつく信用が置けぬ奴め」と非難される。
 つまり、どう答えても曹操の怒りを買う事になり、主従関係の修復が不可能だというメッセージが込められている)

陳寿の記載の中では死因は明確にされていないが、曹操の魏公就任に反対の立場を貫いたこと自体は正史にも記されている。
荀攸らが魏の功臣として曹操の廟に祀られる中で荀彧がなぜか祀られていないことに対し、裴松之は「魏公就任に異を唱えた荀彧は、魏の官位を得ずに亡くなったからではないか」との推測を述べている。

正史ではあの禰衡ですら「弔問に役立つ(葬式の挨拶に行くこと。曹操陣営の代表として行く訳なので不細工が行くより美男の方が適する)」と皮肉混じりに顔の良さを認める偉丈夫だが、『蒼天航路』では成人後は垢抜けない顔立ちで描かれるなど、その点が再現されることは少なかったりする。

演義では呂布・劉備との戦いで「二虎競食の計」「駆虎呑狼の計」を編み出すが、いずれも不本意な戦果に終わっている。

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