孔明の死の直前の戦いで、逃げる司馬懿を追撃するが、小細工に引っかかって取り逃がしてしまう。
このことから、人材不足の状況を指した「廖化を先鋒にする」という諺で現在に名を残すトホホな扱いの凡将。
しかし、彼が有名なのは、演義ではフレーバーテキスト通りなんと黄巾の乱から蜀滅亡まで生き延びたという
三国志の物語随一の長寿人物という描写。
ちなみにその経過時間はなんと80年。「本当は同名の別人ではないか」との説が出るのももっともだろう。
さすがにこれには及ばないが、史書においては関羽と共に荊州を守備していた時期が初出で、
その後も40年以上、前線で武勲を重ねた歴戦の武将であった。
蜀が滅びる数年前の時期において、同僚との会話で「お互い70代なので〜」と語り合っていた記録があり、
その後も、剣閣に拠って敵軍を防いだ描写があることから、
齢70を超えても軍の指揮を執っていた、この時代を代表する老将であったのは間違いないと思われる。
張翼・張嶷・馬忠と共に、人材も国力も致命的に足りない末期の蜀をよく支えた「蜀漢四将」と称されることも。