蜀の武将。傅肜(ふゆう)と表記される史料もある。
記述は正史・演義ともほぼ一致しており、夷陵で壊滅的大敗を喫した蜀軍の撤退戦で奮闘。
その武勇を惜しんだ呉軍に降伏勧告されるが「漢の将軍が呉の犬に降れるか」と一喝して戦死する。
他の記述がほぼ皆無に等しく、非常に謎の多い人物。
荊州の出身とされてはいるが、そもそもいつ頃から劉備に仕えたのかもはっきりしない。
確かなことは夷陵で戦死したこと、彼の死後に子の傅僉が取り立てられたこと、
そして後に傅僉もまた蜀滅亡に殉じる忠烈の武人として散ったことだけである。
親子二代で貫いた忠義は後世の評判が良く、武侯祠では他の名将たちに並んで傅彤・傅僉親子が祀られている。