「手下八部」「旗本八旗」「関中十部」などと称される西涼の豪族の一人。
正史では馬超や韓遂とはあくまで対等の共闘関係だが、演義では韓遂配下として扱われる。
潼関の戦いでは曹操軍の先陣として黄河を渡った徐晃と朱霊を襲撃するが敗れ、曹操軍本隊の渡河を許してしまう。
馬超・韓遂が離間の計にかかって勢力を弱め、他の関中十部も多くが戦死あるいは降伏してしまうと、
梁興は略奪を繰り返す賊徒と成り果ててまで抵抗を続けたが、夏侯淵によって討伐され戦死した。
演義では離間の計にかかった馬超から韓遂を守るため馬超暗殺を企むが、馬超にバレて殺害されてしまう。