人物紹介 / 李カク


李傕

董卓の死後、長安を郭汜と共に治めたことからセットで語られることも多く、旧三国志大戦では二人で1枚のカードだった。

一般的なイメージではあまり優秀という印象のない人物ではあるが、
義勇ロード・魏伝で郭汜から頭でっかち呼ばわりされているようにある程度の知恵や教養は持つ人物だったようで、
反董卓連合軍との戦いでは孫堅軍への使者を務めたこともある(孫堅にはにべもなく和睦を拒否されたが)。
また袁術側についた朱儁を撃破し潁川・陳留まで追撃するなど、武官としての実力も十分に有していた模様。
しかしながら性格の方はまさに董卓の子分と呼べる残虐非道さで、彼らが進軍するところ男は殺され女は攫われ、略奪と殺戮の限りを尽くされた。
当時潁川に住んでいた荀彧は李傕の襲撃を恐れ長老たちに避難を進言するが聞き入れられず、
仕方なく一族だけを連れて冀州に逃れ、果たして潁川に残った者たちはほとんど殺されてしまったという。

董卓が殺害され王允・呂布に長安を占拠されると、柔軟に賈詡の進言を採用して大勝。
献帝を擁し権力を手中にするというこれ以上ない大戦果を挙げている。
しかし彼の武勇と知恵が統治に活かされることはなく、政権を握ってもまともな政治をしないばかりか、
自ら兵を率いて略奪に明け暮れるという有様で、長安は街中で普通に死体が転がっているという状態だったという。
また董卓配下時代からの僚友・樊稠が馬騰との戦いで旧知の韓遂を見逃すとこれを咎めて処刑しており、
有能な武官を自ら切り捨て軍を弱体化させるという失態を犯している。
挙句の果てに郭汜と仲間割れを起こすと、あろうことか市街でも平然と交戦を行い長安はさらに荒廃。
最終的には董承らに献帝を保護され、一度は撃破するものの帝と大義名分を取り戻すには至らず、やがてそのまま破滅への坂道を転げ落ちていった。
将軍として不足ない実力と、何より成り行きで董卓の後釜に収まってしまう圧倒的豪運とを持ちながら、
致命的なまでの器量・度量の不足により、天運を全く生かせず愚行ばかりを振り撒いて散ることになった迷惑な覇者であった。