人物紹介 / 羊コ


羊祜

魏・晋に仕えた武将、政治家。
母は蔡邕の娘、姉に羊徽瑜(司馬師の妻)、妻は夏侯覇の娘、叔母(一説では母)に蔡琰と、魏・晋の豪華な系譜に連なる。
一説には叔母である辛憲英に育てられ教えを受けたとも言われ、つくづく才女・賢女に縁の深い生い立ちである。

司馬師の時代に(その縁故関係もあって)召し出され、曹一族と司馬一族の緊張が続く中でキャリアをスタートした。
魏から晋へ、司馬炎に仕えるまで、重職に就いてはいるが積極的に政争に関わることはなかった。

呉への侵攻に備えて着任した荊州では内政・民政で手腕を発揮。
地元の人間に慕われるだけでなく、長江対岸の呉から羊祜を頼って逃れてくる民もいるほどの人気ぶりだった。
また降る者には極力寛大に接し、呉将を討ち取っても遺体は必ず礼をもって返還したため、呉でも「羊公」と敬称で呼ばれるほどの人望があったという。

陸抗との友情めいたエピソードは有名。双方とも立場のある身で手加減をすることはなかったが、
病身の陸抗に薬を贈ると陸抗は疑うことなく服用し、返礼の酒が届くと羊祜もまた毒見もせず飲んだ。
互いに実力を認め合っていたため迂闊には動かず、陸抗存命中は晋・呉国境の動きは小競り合いに留まった。
それでも彼自身はあくまで主戦派であり、常に呉討伐の準備を怠ることはなく、やがて陸抗が没すると本格的な呉遠征を上奏。
しかし朝廷の反対に遭って在任中に実現することはできず、やがて病のため後任に杜預を指名して一線を退き、ほどなく死去した。
その死は民から大いに嘆かれ、対峙する呉の将兵までも訃報を聞いて涙を流したという。
先祖の墓地に葬るよう質素な遺言を遺したが、司馬炎は許さずわざわざ墓所を下賜して盛大に見送った。

任地の襄陽では峴山という山を好みしばしば登っていたことから、峴山には彼を偲ぶ「羊公碑」が建てられ、
見たものはみな羊祜の遺徳を思い涙するという意味から、後任の杜預はこれに「堕涙碑」の異名を与えた。
この羊公碑については、李白ほか後世の詩人たちが数々の詩に詠んでおり、
また後の中国や日本ではこれに肖り、特に優れた偉人を偲んで建てられた石碑を、「涙を流すほどの感動や哀悼を呼ぶ」として堕涙碑と称することがある。

三国志大戦2・3・TCGではDaisuke Izuka氏が描いた艶やかで中性的な絵柄が特徴的。
武力ダメージを軽減する計略、そして特技の魅力と覚醒は2以来の自分自身のものであり、
群雄伝(今作の義勇ロード)では鄧艾に天下統一の夢を託されるヒロイン後継者の立場だった。

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