人物紹介 / 楊阜


楊阜

潼関の戦いで敗れた後の馬超と争った人物で、同郷人の趙昂(王異の夫)と尹奉とは同僚に当たる。

初めは涼州刺史・韋端に仕え、のちに韋端の地位を引き継いだ韋康の参軍事になる。(趙昂も当時は同じ職分)
韋康が馬超にだまし討ちのような形で殺害されたことをきっかけに、馬超への復讐を誓う。
その頃に死んだ妻の葬儀を理由に帰郷すると姜叙、趙昂、尹奉といった同士を集めて挙兵する。
姜叙の母や馬超に人質として預けられていた趙月(趙昂と王異の子)、さらに自身の親族7人も馬超に殺されるが、
夏侯淵の援軍を得て馬超を漢中に追い返すことに成功している。

その後は反馬超軍として指揮を執った功績を曹操に讃えられ、益州刺史,金城太守,武都太守を歴任するなど、同輩の中では最も出世した。
そのせいか三国志演義では、同格なはずの趙昂と尹奉が楊阜の部下(統兵校尉)として描かれた。

曹丕の代では直諫の士として知られ、曹丕に対して直言を呈した。直言を好まない曹丕だが、なぜか楊阜の意見だけは聞き入れたという。

当初、曹操からの任命を
「一度は降伏(韋康殺害直後、人質を取られ降伏している)した身、罰せられて当然なのに、共に戦って死んでいった人達を差し置いて位を頂くなどできません」
と固辞したが、曹操は
「西方の人々は、君たちの義挙を美談としている。姜叙の母(←楊阜の育ての親でもある)は早い行動を勧めた。なんという賢明さか。史書はこの功績を永久に書き留めるだろう」(意訳すれば、君が授賞すれば、姜叙の母達の勇敢な行動も歴史に残る。任命を断るべきではない)
と説得、楊阜もこれを受け入れた。

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