人物紹介 / 楊駿


楊駿

楊芷の父で、楊艶の叔父に当たる。
先祖が楊脩の曽祖父に繋がっているため、四世大尉の名門であった弘農楊氏の一族の庶流の出ということになる。
楊艶の縁者として若い頃から取り立てられ出世していたため、楊艶の死後に楊芷が皇后として立てられると、外戚として権力をほしいままにするようになる。
この頃には皇帝・司馬炎に中華統一を果たした頃の英気はなく、
陰謀と賄賂が横行する朝廷の中で、楊駿は弟の楊珧・楊済と共に専横を極め「天下三楊」とまで呼ばれた。
仲の良い者や自分に媚びる者ばかりを中央に置き、気に入らない者はみんな左遷してしまうため、
司馬炎に楊駿を重用しないよう諫言する者も後を絶たなかったが、
すでにまともな判断力の失われていた司馬炎はまるで取り合わなかったという。
(一方、どんなに気に入らない者でも左遷に留め、無闇に処刑することだけはしなかったとも言われる)

やがて司馬炎が病に倒れ司馬衷の治世になると、楊駿は名実ともに人臣の頂点に立つ。
しかし政治に疎い楊駿は古くからの慣例を度々破り、また少しでも気に入らないことがあると容赦なく糾弾し、
配下の進言もろくに聞き入れなかったため人望は無いに等しく、弟らにも疎まれていた。

権力の座を狙う皇后・賈南風は、人望の無い楊駿を追い落とすべく司馬瑋と結託。
楊駿一族に謀反の濡れ衣を着せ、密かに洛陽を制圧しクーデターを起こした。
楊駿は配下を集めて対策を議論するが、門を焼き皇太子を擁立して強く出るべきという進言を
「魏明帝(曹叡)の造った門を焼くなど許されない」などとして却下。
優柔不断な楊駿に失望した群臣はみな退去してしまったため楊駿は孤立無援の身となり、
ついに捕縛され三族皆殺しの極刑となった。
この時楊駿は曹爽の故府にいたとも言われているが、これが事実なら
やはり政権をほしいままにしながら知恵袋の進言を無視する愚鈍さで全てをドブに捨てた曹爽と、
ほぼ同じ末路を辿ったことはあまりにも皮肉な話である。

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