韓遂と共に戦った西涼の有力者「旗本八旗」の一角の参戦。
彼の参戦で、歴代の三国志大戦で登場した西涼の関中十将は10人中9人になり、残るは李堪のみとなった。
(その後、李堪は第3弾で参戦し、関中十将はコンプリートを果たした)
史実では馬超、韓遂に協力する一方で部下の孔桂を曹操に遣わして誼を通じるという抜け目のない面も持ち、
魏王朝では討寇将軍・特進に昇進するなど重用されている。
しかし、どう考えても熊耳と熊に乗っている理由が「愛すべき馬鹿」と書かれた某所の書き込みの影響であり
完全にSSQ被害者の一人である。