人物紹介 / 馬謖


馬謖

諸葛亮の言うことを無視し山上に布陣しぼろ負けした、『ミスター山上布陣』とも『登山家』とも称されるバカ者
泣斬馬謖(泣いて馬謖を斬る)』という言葉は現代日本においても度々引用される有名な故事であり、
その活躍度合いに反して、日本でも無駄に知名度がある武将である。

「馬氏の五常」と呼ばれた荊州の名門・馬氏の末弟で、すぐ上の兄が「白眉」と称えられた馬良である。
軍略に明るいことから諸葛亮からは高く評価されていたものの、劉備からの評価は低く、
劉備臨終の際には「馬謖は口先の男だから重要任務を任せないように」と遺言されている。
その遺言を無視して諸葛亮が重用した結果が、冒頭に記されたボロ負けである。

演義では曹叡が若いながらも魏の皇帝に立った時、その際に諸葛亮に献策して司馬懿に謀反の意志があるという噂を流させ
司馬懿を一時左遷させるという功を挙げたが、史実に司馬懿がこの時期左遷された記録がないため
その後処刑される彼が有能な人物だったことを物語的に印象付ける意図があったのだろう。
それを除くと、彼は南蛮で「城を攻めるは下策、心を攻めるが上策」という有名な台詞を残しただけで戦働きはなく
劉備の言うとおり口しか動かしていない。
街亭の戦い時点で40歳前後といわれているが、それまで大将を任された経験もなかったと言われる。

上っ面の兵法に頼り重要な戦いを敗戦に導いた人物として、戦国時代における趙の将軍・趙括との類似性もよく語られている。