人物紹介 / 馬騰


馬騰

涼州屈指の実力者にして、馬超の父。
父親の代に没落し、若年時は平民と変わらぬ生活を送っていたが、
その武勇と機知により頭角を現し、一代で大勢力を築いた傑物である。

羌族とのハーフで、そのため異民族からの信望が厚かったと言われている。
また、祖先には後漢初期の名将・馬援がおり、
さらに辿ると、戦国時代・趙の武将で「刎頸の交わり」で知られる廉頗・藺相如と並び称された名将・趙奢が祖先に当たる。
趙奢は「馬服君」という官位でも知られており、中国史上で馬服君といえば趙奢のことを指すくらいの代名詞になっている。
一説によると「馬」の姓はこの「馬服君」から取られているという。

経歴としてはかなり複雑で、時期によって後漢王朝に服属したり、反旗を翻したりと、
王朝に影響力を持っていた者との関係次第で、頻繁に立場を変えている。
とは言え、反乱行為を起こしながらも、割拠した勢力・領土を保ち得ているあたり、
一介の雄として、一筋縄ではいかないしたたかさがあったようだ。

最終的に、曹操が帝を迎えて華北が安定方向に向かうと、朝廷に改めて恭順し、
妻子と中央に近い都市に移住し、馬鉄・馬休ともども官職を与えられる。
……しかし、このように一族を通して、朝廷に仕え始めていたにもかかわらず、
軍勢を取りまとめるために西涼に残してきた馬超が、王朝(曹操)に対し、叛逆の意を示してまさかの挙兵。
このような事態に陥り、曹操も馬一族を無視する事はできず、
馬超の反乱を駆逐したのち、改めて馬騰、以下親族を捕縛。
馬騰たちは刑場の露と消えることになってしまった。


演義では漢王朝の忠臣として描かれ、董承の曹操暗殺計画にも参加している。
ちなみにフレーバーテキストの出来事は演義でのもの。
こちらは、正史と時間軸が前後する形で改変されており、
馬騰が処刑された事に激怒した馬超が、それを機に曹操に対し挙兵する流れとなっている。