史実では関中十部と呼ばれる独立勢力の一つで、馬超、韓遂とは対等の立場にあった。
ただし演義を始めとする創作では大抵、馬騰・馬超か韓遂の配下とされることが多い。
(この辺は、楊秋など他の旗本八旗も同様)
「馬」姓ではあるが、馬騰・馬超らの一族との関連については特に書かれていない。
正史では潼関の戦いに参戦したという事実が書かれているのみだが、
演義では賈詡の離間策に掛った馬超から韓遂を守るために戦死し、
『蒼天航路』では窮地に陥った馬超を助けるべく曹操軍に特攻して死ぬという最期が書かれている。