人物紹介 / 董卓


董卓

三国志の序盤における最大の悪役とされており、正史でも「史上最悪の暴君」と書かれている。
実際、彼が行ったとされる傍若無人の数々は、反董卓連合に攻められ長安へと撤退する際に洛陽を焼け野原にしたことを始めとし、
正史に記されているだけでも枚挙に暇がない。
貨幣を改鋳して粗悪な銭を流通させたことで超インフレを引き起こすなど、政治的手腕の面でも疑問は多々残る。

しかしこれでも若い頃は義侠心にあふれる人物だったようで、羌族の顔役が訪ねてきたときは耕牛を潰してまでしてもてなしたり、
并州の反乱軍を討伐した功績として贈られた絹を全部部下に与えたりしていたことが知られている。
中原の実権を握ってからも後漢末期屈指の文人である蔡邕を招聘・厚遇したり、
凡庸であった劉弁を廃し、「聡明だから」と言う理由で弟の献帝を擁立するなど、暴虐一辺倒ではない一面を時折見せている。
こういった点も踏まえて近年では再評価も始まっており、暴君とカリスマ的豪傑の二面性を持つ『蒼天航路』の董卓をはじめ、
各種創作でも従来の董卓像とは少し違う描かれ方をすることが増えている。

権力を手にしてからは自ら戦場に立たず贅の限りを尽くしたためか、凄まじい肥満体になってしまったようで、
呂布に殺され晒された遺体のへそに蝋燭を灯した所、体の脂肪で三日三晩燃え続けたという。