人物紹介 / 陳羣


陳羣

旧三国志大戦の頃から存在する階級システム、高い順より一品〜九品と定めるランク付け。
これは『九品官人法』という後漢〜魏晋南北朝時代まで続いた人材登用制度を基にしたものだが、
そのネタの九品官人法を制定したのが他ならぬこの人である。大戦では何故か十品まであるが。

この「九品官人法」は、中国の政治史・人材登用史を考察する上で、後の科挙制度に繋がる重要な制度とされ、
また一説には日本の「冠位十二階」にも間接的に影響を与えたと言われ、歴史上の重要度が大変に高い。
高校以下の世界史では、三国時代および三国志が詳しく取り扱われることはあまりないが、
「九品官人法」が中国史上の重要項目として教科書に掲載されている事は少なくない。

そういった重要制度の制定・確立を筆頭に、他にも様々な提案・上奏を行い尚書や司空といった高位高官を歴任。
内政面の柱石として曹家政権および魏王朝の安定に尽くし、その手腕で多大な功績を残している。
硬骨な一面もあり、主君の行動に対し、正面から批判する上奏も行っているが、それでもなお、曹叡までの三代に渡り、信任は揺るがなかったという。
そんな、魏王朝の内政で大車輪の働きをした人物であるが、意外にも最初に陳羣を見出して登用したのは豫州刺史時代の劉備だったりする。

なお、生真面目な性格から郭嘉の奔放な言動は許しがたいものであったらしく、何度か弾劾したことが知られている。
(曹操には却下されたが)

一方、演義の方では、軍功に乏しいため三国志の人物としては影が薄い。
物語中の活躍度合いとしては、魏後期屈指の名将である息子・陳泰の方が有名だろうか。

子孫は同じく中国の「四大奇書」の一つ、「西遊記」に登場する三蔵法師のモデルである玄奘こと陳褘と言われている。