徐州の名門の出身で陳登の父。旧版では親子で1枚のカードとして登場している。
正史では漢王朝に忠実な人物だったようで、(漢から事実上独立していた)旧友・袁術の勧誘を断っている。
また、呂布の事も良く思っておらず、(縁談を断るなどして)呂布と袁術の仲が悪くなるよう工作したり、
密かに曹操と通じて呂布討伐軍を編成するよう仕向けたりしていた。
演義でも役回りはほぼ同様だが、朝廷よりも劉備に心服しているという点が異なる。
呂布を手玉に取る老練さもあって老人のイメージで描写されることが多いが、陳登共々史実での生没年は不詳。
しかし陳登が25歳で県令になり、その後陶謙に推挙されて(つまりこの時点でまだ陶謙が存命)典農校尉となったとあるため、
陶謙が没し劉備に仕えた時点で陳登は若くとも30前後と見られ、その父となると陳珪は結構な年齢である事が窺える。
コーエーの三国志シリーズでもかなり生年の早い(序盤シナリオの時点で老齢の)人物として登場し、
作品によっては開始直後に(まだ陶謙が健在であるにもかかわらず)ぽっくり病没という出オチを見せてくれる事も。