人物紹介 / 陳宮


陳宮

大戦シリーズでは初代から登場し続けているご存知呂布の軍師。
初代の初期は後述の経歴からか魏での登場。しかし計略はよりにもよって自身の敗因になった水計
その後はちゃんと群雄で低士気で投げ超絶+自城大ダメージという破滅的な献策を携え実装された。

かつては曹操の陣営に属していたが、後に呂布の元へ鞍替えした謀将。
演義では、曹操の冷徹な言動を危険視し次第に距離を取っていった結果として呂布の元へ収まっていく形となっているが
史実では曹操が本拠地を留守にしたタイミングで唐突に反旗を翻して(当時流浪していた)呂布を盟主として担ぎ上げており、曹操への叛意の理由が明らかになっていない。
この時、曹操は陳宮を本拠地の留守居役に指名するなど、彼に対して厚い信頼を置いており
そのような状況下でなぜ陳宮が叛意を抱かなければならなかったのか、三国志の物語の中で解き明かされていないミステリーの一つと言われる。

余談となるが、正史では呂布の元で働いていくうちに疎んぜられ、徐州から劉備を追い出したあたりから早くも陳宮の意向の殆どが却下されるようになってしまった。
(徐州奪取直後に起こった郝萌の反乱に加担していたと曹性が証言しており、原因の一つである可能性は高い)
演義でも同様に呂布が陳宮の献策を却下していくようになるが、それに比べてかなり早い段階で主従関係が険悪となっている。
それは、後に捕らえられたあと曹操に敗因を問われたところ「呂布が言うことを聞かなかったから」と吐き捨てているほどであった。

演義系の創作だと「呂布に成り行き上従う事になるが、いつの間にか(家族や赤兎馬以外の者に対しての初めての)信頼関係のようなものが芽生える」という描かれ方が多い。
「水攻めを喰らい呂布は打って出ようとするが、陳宮が味方の裏切りで捕らわれた姿が水面に映った事を見て呂布は陳宮の名を絶叫する。陳宮は口を塞がれ、泣きながらも「誰か、呂布殿に付き従えと声を上げてくれ」と願うが、呂布は陳宮が捕らわれた時点で自分の終わりを自覚したような行動を取る(蒼天航路)」
「毒を受け戦うも瀕死となり、息子である関平に討たれた呂布を見て、「わが殿は不器用な方、一人で死なせるわけにはいかない」と陳宮も後を追い自害する。2人の遺体は劉備(遼宇)により、鮮卑族の者に「共に鮮卑の地に弔ってほしい」と託された(覇-LORD-)」といった形に。

三国志大戦ではちゃんと献策を受け容れてくれるので思う存分知略を揮おう。

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