張悌と共に、斜陽の孫呉で最後に気を吐いた武将。
丹陽太守の座にあり、地元の精兵で組織された「青巾兵」という部隊を率いていたという。
晋による呉の征伐戦では孫震、張悌、諸葛靚らと共にこれを迎え撃つ。
張悌に対し地の利を活かした迎撃戦を進言するが、兵の士気が低下し戦わずして降伏する事態を懸念した張悌が
意見を退け積極策を取るとこれに従い、長江を渡っての決戦に挑む。
張喬を降伏させるも続く張翰、周浚は三度の攻勢でも崩せず、降伏した張喬にも蜂起され総崩れとなり、
最終的には張悌と共に晋軍に捕らえられ処刑されている。
「臨海水土異物志」の作者でもあり、文中には現在の台湾とされる夷州に関する記述も載っている。