人物紹介 / 張菖蒲


張菖蒲

晩年の鍾繇が入れあげていた側室にして鍾会の母。

あまりの溺愛ぶりから他の側室であった孫氏の嫉妬を買い、鍾会を身籠っていた頃に危うく毒殺されかかる。
これに怒った鍾繇は孫氏を離縁するものの、曹丕から復縁を命じられると自殺するべく山椒をやけ食いしている。
(服毒自殺を図ろうとするも毒薬が入手できなかったための代替手段だが、死には至らなかった)

教育熱心な人物で鍾会が4歳になると英才教育を始め、『孝経』を教えている。
その後も15歳になるまでに『論語』『詩経』『尚書』『易経』『春秋左氏伝』『周礼』『礼記』を教えていき、太学にも入学させる。
教育の甲斐もあって鍾会は若くして頭角を現している。
また、曹爽と司馬懿の間で政争が起こると、曹爽の滅亡を予見し司馬懿に従うよう助言したとも言われている。

鍾会からはもはやマザコンの域に達するレベルで敬愛されていたらしく、自ら『鍾会母伝』を著して母のことを記録している。
(この時代にしては珍しく女性にして名前が知られているのもこの書が根拠である)

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