張飛の次男にして蜀の政治家。
長男である張苞が正史では張飛よりも先に死去、演義でも北伐従軍中に負傷し陣没してしまうため、
幼少の張遵に代わって彼が家を継いでいる。
甥の張遵と違って蜀漢滅亡後も存命であり、降伏の使者を務めているほか、洛陽へと送られる劉禅に随行している。
正史・演義共に、三国志の人物としての張紹の事績はほぼこれだけであり、
裏書の古柏にまつわる逸話は民間伝承が出典とされる。
伝承によれば張飛はしばしば長距離の兵員輸送を行っていたが、
山がちな蜀では夏の暑さや冬の寒さなどが過酷で、兵たちが体調を崩す問題が多発。
張紹は諸葛亮に対策を求め、その助言に従い周辺の山林に柏を移植する事業を張飛に提案、そして実行したと伝わる。
彼らが植林を行い、後に劉禅が雨風を凌いだとされる柏林は、
現在は張紹の像と碑文が建てられた史跡となっており、今も多数の古柏が生い茂っているという。