演義において、張昭と共に二張の名で知られるが、正史では張昭とは別の伝に記されている。
また、張昭ともども老人の姿で書かれる事が多いが、孫策の招聘を受けた時点ではまだ40代であり、死去した時点でも60歳である。
正史では張昭が孫策から孫権を託されたように、張紘は呉夫人から孫権のことを託されており、張昭ほど派手な逸話は少ないものの孫権の振舞いに度々お小言をしていたという。
孫権の方も頼れる目上の存在として張紘に一目置いていたようで、その官職である東部都尉から「東部」と敬称していた。
張昭に比べると目立った事績が少ないため地味に思われるが、当時の名士としてはかなり名が知られていたようで、曹操や呂布が孫策の元から引き抜こうとしたことがある。
また、かの陳琳にも絶賛されるほどの文才の持ち主で、政治的な活躍だけでなく詩などの文学作品も多く手掛けたとされる。