孫権の側近。正史本文に彼の記述は無く、注に引かれる『江表伝』に記載されている人物。
奴隷上がりであったとの記録があり、側近といっても使い走りのような低い地位にあったが、
実直で忠誠心高い性格を信頼され、親近監に任命されていたという。
フレーバーテキストに書かれる合肥の戦いの他では孫権が呉王に就いた後の逸話にも登場している。
戦艦「長安」が建造された際の進水式で羅州まで航行しようとした際に強風で長江が荒れると、
構わず羅州へ向かえという孫権の命令を無視して操舵手を剣で脅し、樊口に停泊させる。
この行動に対し「利ちゃんは臆病だなぁ」と孫権に嫌味を言われるが、毅然として
「船が転覆して大王に万が一のことがあったら困るのでやりました。命令違反で死刑になっても本望です」
と答えたことで感服され、それ以降孫権は名ではなく名字の「谷」で彼を呼ぶようになったという。
演義では合肥に孫権配下の一部将として登場。
張遼に追い詰められた孫権を激励し、無事対岸へと退却させたくだりは正史と概ね同様で、
自陣に生還を果たした孫権は谷利を大いに賞している。