人物紹介 / 太史慈


太史慈

各創作にて甘寧・周泰・丁奉らと共に孫呉の猛将として有名。
大戦シリーズでは現在に至るまで「レア・コスト2・武力8・中知力・勇猛持ち」で皆勤だが、
計略は毎回異なっており、1・2では超絶強化、3では部隊の召喚、今作では弓性能強化と安定していない。

21歳の時、東萊郡と青州の間でトラブルが発生し、朝廷の裁決を仰ぐ事態になると東萊郡の使者を務めたことがある。
しかし青州側の使者に先を越されそうになったため、相手の上章文を騙し取って破棄すると、
「俺たち二人して処罰されるぞ」と言って一緒に逃げるふりをして、ちゃっかり洛陽に戻り東萊郡の上章文を朝廷に渡している。
許劭に酷評されたというのは、この一件が影響していた模様。

いち武将としては弓の達人であり、孔融の拠点が黄巾残党に包囲されたことで援軍の使者に任命されると、
毎日城外に出て黄巾賊の前で弓の訓練を繰り返し、油断するようになったところで囲みを抜けて劉備のもとに到着したという。
また、演義では厳白虎との戦いで孫策軍を挑発する兵士を射て、手のひらを城壁に縫い付けてしまうという神技を披露している。

横山三国志では、赤壁後の合肥攻めで、自身の策略を逆計されて針鼠にされる最期で有名だが、
正史では合肥攻めどころか、赤壁の戦いにも従軍していない。その前に病死している。
また、正史では臨終の際に
「大丈夫たるもの、七尺の剣を帯びて天子の階に登るべきものを、志を果たさず死ぬのは無念だ」
と言ったとされている。つまり、皇帝になりたかったと死に際に言っていたのだ。
この言葉は撤退時のセリフ「大丈夫たるものが!」の元かと思われる。

ちなみに正史においては弓が得意という意味で「臂(腕)が長い」と言う記述をされている。
演義における劉備や馬超の表現と似通っているが、少なくとも馬超は強弓で鳴らしていてもおかしくはない。