孫家の一門で孫桓の従兄弟にあたる武将。
孫桓よりも10歳年長であり、叔父の孫河が殺害された時は孫桓が幼少であったため孫河の軍勢を引き継いでいる。
出典によって出自が異なっており、史実での設定は孫桓の項目にある通りのため割愛するが、
演義では孫堅が俞家から貰った養子、吉川版では孫堅の庶子とされている。
フレーバーテキストにも書かれる曹丕との戦いでは、演義では奇襲の前に総大将・徐盛の命令に逆らって処刑されかけている。
しかも仲裁した孫権にも逆らって怒りを買っているという徹底ぶりである。
一方の徐盛は仲裁を受けて冷静になったのか、丁奉に独断で動いた孫韶をコッソリ支援するよう命令している。
横山三国志でも上記の場面で登場しており、命令を拒絶する際にしかめっ面とともに放った「いやでございます」の名言は、彼の登場シーンの少なさと反比例するがごとく強烈な印象を読者たちに残している。