人物紹介 / 孫瑜


孫瑜

孫策死後の混乱時には、兄の孫舛眸人陲魑こそうとしていたが、未遂に終わっている。
孫静と孫舛この一件の責を負い隠居したため、次男である孫瑜が家名と軍勢を継ぐことになった。
孫翊の死後に後任として丹陽太守となり、兵1万を集めたという。

「周瑜伝」の記述によると特に周瑜からの信頼が厚く、
カード裏に記述される通り周瑜には「天下二分成立の時は益州を任せる」とまで言わせており、
また赤壁より前の時期には、周瑜とともに出陣して砦を落としたりもしていたという。

演義ではほぼ名前のみの登場に等しいため地味なチョイ役と思われがちだが、
当時の孫権軍ではトップクラスの官位となる奮威将軍にまで昇進している重鎮。
孫一族の筆頭格として青年期の孫権をよく支えた良将だったが、215年に39歳の若さで死去。
その軍権は弟の孫皎が継いだ。