孫権の末子で七男にあたる。
二宮の変で三兄・孫和が太子を廃され四兄・孫覇が自害することになると、
五兄・孫奮は素行が悪く、六兄・孫休は学者肌の変人で後継者に相応しくないと見られたのか、後任の太子に立てられる。
そして父の崩御に伴い、孫呉の二代目皇帝に就く。
皇帝としてはほとんど実権は持たず、諸葛恪、孫峻、孫綝と言った重臣の傀儡であった。
この中でも孫綝は暴虐を極めたため、自ら政治を行い孫綝を誅殺しようとしたのだが、先手を打たれて失敗。
結局孫綝によって廃されると会稽王に落とされ、孫休が帝位に就く。
その後帝位に復するという流言や孫亮が巫女に祈祷させて呪いの言葉を発していると告発されると侯官侯に降格されるが、
任地に赴く途中で死亡する。自殺とも、孫休に毒殺されたとも言われる。