人物紹介 / 孫策


孫策

演義でよく知られる「小覇王」の異名は漢楚の戦いで漢の高祖・劉邦と争った西楚の覇王・項羽に由来する。
正史の注釈によると、呉郡大守を務めていた許貢という人物が「孫策の勢いは項羽ににて危険だ。討伐した方がいい」
と献帝に密書を送ったとされている(もっともバレて孫策に殺されたのだが)。

また、数少ない正史において一騎打ちを行った記録が残る人物でもある。
当時小規模だったとはいえ、一軍の頭首が一騎打ちを行うというのはかなり異例であり、彼の武勇と性格を表すエピソードとして有名。
結果、太史慈を配下に加えることに成功するも、こういった軽率な行動が後々悲劇を招く結果となる。
陳寿の人物評では「孫策は傑出した英気を具え、その勇猛さと鋭敏さは並ぶ者がないほどであり、優れた人物を登用して用い、
志は中国全土を圧倒するほどだった。しかし、孫策は軽はずみでせっかちな性格だったので、身を滅ぼしてしまった」
と、優れた才覚を評価しつつも、軽率な行動の多さに苦言を呈している。

主だった逸話を見る限りでは武闘派のイメージではあるのだが、知的な面もないわけではなく囲碁を趣味としていたという。
呂範と囲碁を打った時の棋譜が現存する…と言われている。

孫権が帝位に就くと長沙桓王を追号されており、皇帝位を追号された父・孫堅と違い王止まりである。
これは帝位を追号すると当時は孫権に仕えていた息子・孫紹にも継承権が生じるため、それを避けるためとも言われている。

余談だが彼の字にある「伯」とは、中国では長男を示す言葉である。弟の孫権の字にある「仲」は次男を示す。
「実力伯仲」という言葉は長男と次男で力の差がないことから生まれた言葉である。
また、兄弟で字を揃えたい時は、「子」という字を使うことが多く、三国志の兄弟にこの2つの法則は多くあてはまる。
興味がある人は探してみるとよいだろう。