呉の皇族の一人で曾祖父・孫羌は孫堅、孫静の兄に当たる。
『真誥』によれば孫賁の孫娘で山陰王・孫奚の子とされるが、正史では孫賁に孫奚という子がいたという記述はない。
(正史に記載される孫賁の子のうち、男児は孫鄰、孫安、孫煕、孫績の4人のみで、『真誥』の注釈にも同様の記述がある。
ただし孫績の名のみ孫疏とされている。)
師匠にあたる杜契とは男女の関係にあり、その筋で不老不死の秘術である玄白の法を授かったものと思われる。
尚、術で少女の姿を保っていたというのは本作の創作ではなく、『真誥』の文中に記載された話である。
なお彼女の祖父とされる孫賁は、孫堅の旗揚げから従い、孫堅戦死〜孫策独立までの間、袁術配下として孫家の軍勢を率いていた。
いわば孫堅と孫策の橋渡し役を果たした、彼がいなければ孫呉はなかったかもしれないほどの重要人物なのだが、
演義に登場しないため一般的な知名度はほぼ無いに等しい。