人物紹介 / 曹植


曹植

「詩聖」の名は伊達ではなく、唐代になり李白が現れるまでは漢詩の第一人者であったという。
後世の文人には「天下の詩才を一石とすれば、そのうち八斗は曹植である」とまで評され、
中国には今でも抜きんでた才能を指す「才高八斗」という故事成語が残されている。
しかし詩人としての名声とは裏腹に、本人は詩をさほど重視しておらず、
「男子たるもの、戦で武勲を挙げ、善政を敷き、社稷に尽くす事こそが本望である」
と語ったと伝わる。
言葉通りに父の主要な戦いには何度も従軍しているのだが、皮肉にもこれといって大きな武功の記録はない。
曹丕もまた文学の天才であったが、詩人としては曹植に一歩譲るという評価が古くからの定説であり、その曹丕が文学を軍事・政治に並ぶほど重んじていたこととは見事なまでの好対照である。
曹丕との後継者争いは曹丕に付いた賈詡の助言が敗れた決定打とされているが、
他にも飲酒癖があり、樊城を関羽に攻められ窮地に陥った曹仁を救出する命が下ったときに酔っていて応じられなかった
という失態を犯していたなど、後継者として不適格とされた要因は他にもあったようである。
ちなみに酒好きの話は、さんぽけでLVアップ時のセリフが「とりあえず、酒を一杯」となっていることで再現されている。
仲路さとるの小説「叛三国志」においても酒好きの一面は再現されており、呂布(生き延びており鮮卑族の下に辿り着いて王となった)が攻めてくるのに「戦いの緊張をほぐすため」と酒を飲んでほろ酔い気分だった描写がされている。
結果的に生き延びて、父である曹操と合流して呉に亡命できたのだから、割とマシな扱われ方ではある。

なおカード裏に記される「七歩の才」の逸話は、現在は後世の創作との見方が有力。
その主な根拠が「即興であろうとあの曹植がこんな陳腐な詩を作るわけがない」であるあたり、
彼の文名は今なお高く轟き続けていると言える。

また、彼の傑作として名高い「洛神の賦」において、美しい水の女神が中心人物として出てくるが、
この女神のモデルは、密かに恋慕していた兄嫁の甄氏ではないかという俗説がある。
事実かどうかは推測の域を出ないが、後世の三国志を題材にした諸作品では、この禁じられたロマンスを大なり小なり描いているものも少なくない。
新たなバージョンの三国志大戦で、甄氏の「悲哀の舞い」と、曹植の「詩聖の号令」が非常に好相性な性質なのも、
セガなりに、このロマンスをシステムに反映させたSSQなのだろうか……

我が国においては本作や原点となる三国志演義など、歴史を扱った作品では「そうしょく」と読まれることが多いが、
漢詩など文学史に重点が置かれた資料では「そうち」と読まれることもある。

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