人物紹介 / 鍾会


鍾会

鍾繇の末子。彼が生まれた時点で鍾繇はすでに75歳という高齢であったという。

幼少の頃から才能を発揮し、5歳の頃には蒋済に「並外れた人間」と評価されており、
さらに教育熱心な母によって15歳のときに太学に入学するとさらに力を伸ばしていった。
また、「鍾繇体」を作り上げた父譲りの書才も持ち、論文を多数書いている。
幼少の頃のエピソードに、兄と共に皇帝に対面した際、兄は「恐れ多さのあまりに汗しか出ません」と答えたが、
鍾会は「恐れ多さのあまりに汗も出ません」と答えるといった才気を示す物もある。

しかしながら人格面では野心家として有名で、王元姫や辛憲英がその野心を警戒していた他、
讒言で人を追い落とすこともしばしばやっていたという(その一人に竹林の七賢の一人・嵆康がいる)。
また、父譲りの書才も他人の筆跡を真似て悪用しており、
自身の姉が預かっていた甥の荀勗の剣を偽文書でだまし取ったという逸話が知られている。

蜀征伐戦では、剣閣を攻めあぐねている間に迂回路を通った鄧艾が成都に迫り、劉禅を降伏させている。
姜維は名門出の鍾会のプライドを上手くくすぐり、その結果として姜維と親交を結ぶことになる。
姜維に反乱を唆されると、独断に走るようになった鄧艾を得意の偽文書で捕縛し、魏に反旗を翻す。
失敗しても劉備くらいにはなれるだろう」という目論見だったが、胡淵らの反発によってあえなく殺されてしまっている。
また、演義では反乱を起こす前に数千の蛇に噛み殺されるという悪夢を見ており、反乱が失敗することが暗示されている。
(姜維はこれを吉兆と占ったがさすがに無理があるだろう)

尚、蜀征伐の時点で自身の子がいないことが判っており、生涯独身だったのではという説が存在する。
(もっとも当時の結婚は家同士の繋がりでもあったため、妻が早世したか子宝に恵まれなかったかのどちらかだとは思うが)

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