諸葛誕の末子。因みにカードでは名前が諸葛「靜」となっているが、正しくは諸葛「靚」である。
父が反乱に際して呉に臣従する意思を示すと、人質として身柄を呉に預けられる。
その後父が反乱に失敗し処刑されてしまったため行き場を失ったことから呉に留まり、仕官する。
孫晧の代では右将軍に昇進し、晋と呉の最後の戦いでも張悌、沈瑩らと共に晋軍を迎え撃つ。
進退窮まると張悌に逃げるよう勧めるが張悌はこれを拒否して戦死。その後で晋軍に降伏。
しかし晋に仕官する事無く、そのまま隠遁して一生を終えている。
司馬炎とは幼馴染だったが、父の死に司馬家の人間が関わっていることから仇敵と認識しており、
呉の滅亡後に司馬炎が自身を取り立てるべく現れて
「君はかつての竹馬の交わりを覚えているか?」
と、過去の交友を元に勧誘してきたが、
「臣は炭を飲んで漆を体に塗ることもせず、あなたの御尊顔を拝することになってしまった」
(『史記』によると、春秋戦国時代の豫譲は主君・智伯の仇である趙襄子を討つため、
炭を飲んで声を変え、漆を体に塗って皮膚を爛れさせて病人を装っていた)
と言って断ると、司馬炎はこのことを恥じておとなしく去っていった。
その後も晋に対する恨みは忘れておらず、生涯晋の都である洛陽の方向を向くことはなかったという。
因みに諸葛靚の次男の諸葛恢(しょかつかい)は若くして有能であり、後に同じく東晋の重臣として活躍する
王導から「君は黒髪の宰相になるであろう」と言われ(実際には丞相に就く事は無かったが)、東晋では尚書令まで
昇格を果たし、国家の重臣の一人として活躍している。