正史における孟獲の妻は(存在はしたのだろうが)記述がなく、架空の人物と言われる。
演義では「祝融夫人」と記され、火神・祝融の末裔を称する孟獲の妻。
(「祝融」単体では、本来は先祖と称している火神そのものとその姓を指す)
祝と融でそれぞれ姓と名のように見えるが、正確には二文字姓であり本人の名は記述されていない。
三国志演義では唯一といえる女性武将として登場するが、
これは様々な伝承を元に三国志演義が纏められた際、女傑たちの活躍が軒並みカットされたのが原因とされる。
(例をあげれば史実の女傑の王異は王氏として登場し、戦いに参加せずに夫を励ます部分だけを抽出された。また演義に登場する関索の元ネタ『花関索伝』のヒロイン鮑三娘は家の名前だけが出ており鮑三娘自体はスルー)
史実で活躍した記録の残る女傑や、演義成立当時すでに民間伝承に登場していた女性武将も存在する中、
彼女だけが物語中で戦地を駆けることを許された理由は謎である。
夫や義弟が何度も諸葛亮に負けては捉えられる姿に業を煮やすと自ら出撃し、張嶷、馬忠を捕らえた。
しかし諸葛亮に入れ知恵された魏延の挑発に乗って深入りして捕まり、自ら捕らえた張嶷、馬忠と交換で開放されている。
吉川英治版・横山光輝版では逃げ足の早さを「駝鳥夫人」と揶揄われてまんまと挑発に乗ってしまう、という描写になっているが、この時期の中国〜東南アジアにダチョウが生息していたという確実な記録は特に見当たらなかったりする。そもそも蛇矛や方天画戟からして遥か後世の武器なので気にしたら負けなのだが
最終的には孟獲ともども諸葛亮に帰順している。