孫堅の代から仕えている古参なのだが、何故か三国志大戦では少年のような若々しい姿で描かれている。
甥の朱然を養子にしたのは孫策の代の頃で、この時既に40代にして実子がいない状態だったという。
(後に実子が生まれており、朱治の家督は長男の朱才が継いでいる)
孫権が呉王に封じられた時点でも存命であり(享年69)、当時としてはかなりの長寿。
加えて死没の前年に安国将軍に昇進したとの記録があり、生涯現役の若々しさを誇ったことはあながち嘘でもないようだ。
セリフで物資のことをよく語っているが、特に補給部隊として活躍したなどの記録が残っているわけではない。
ただし呉郡太守として貢物を欠かさず贈っており、孫呉の物資安定には尽力していたことが判っている。
ちなみに張昭と同い年である。……誰が信じるだろうか。
演義では袁術配下に甘んじる身の上を嘆く孫策の元に参じ、玉璽を担保として袁術から兵を借り独立する策を献じる。
以降はこれと言った活躍がないものの、孫策の雄飛と帝位に目がくらんだ袁術没落の始まりとして印象に残る場面である。