人物紹介 / 司馬徽


司馬徽

諸葛亮、龐統、徐庶らの師匠として知られる学者・人物鑑定家。
基本的には老人の姿で描かれ、本作もその例に漏れないのだが実際の年齢は不明であり、
演義では龐統より5歳上(つまり劉備よりも遥かに年下)という意外にも若い設定とされている。

正史には劉表時代の平穏な荊州に移住してきたことが記され、それ以前の出身・経歴は不明。
しかし劉表本人のことはあまり好まず、また豪族たちの政争に巻き込まれることも嫌い、劉表に直接仕えることはせず隠遁生活を送っていた。
(門下生の中に向朗、韓嵩など劉表に仕えたものはいる)
「好」が口癖であったとされ、友人の子が亡くなったと聞いても「好」と答え、それを妻に咎められても「好」と返したという。
劉表はこういった彼の評判を聞いて登用を避けたが、この口癖自体も政治に関わりたくなかった彼の処世術であったとの説もある。
この口癖が演義で「好々」とアレンジされ、臥龍・鳳雛の正体をぼかし話を引っ張るために使われたほか、
中国では意見や態度をはっきりさせずのらりくらりと躱し続ける人物を「好好先生」と揶揄するという。

劉表死没・劉琮降伏を経て荊州北部が曹操の手に渡ると、
能力主義で人材マニアの曹操は当然のごとく司馬徽にも目をつけ、招聘して大いに用いようとした。
が、司馬徽は実際に官職を与えられる前に死去。ついに政治的事績を一切残さぬまま世を去った。

湖北省襄陽市南漳県には、今も司馬徽を偲ぶ像や祠が存在する「水鏡荘」という観光地があり、
中国政府から国家級風景名勝区に指定されるほどの景勝地とされている。

軍師を探し求めていた劉備に臥龍・鳳雛の存在を教えたのは史実、演義とも共通するのだが、
正体について聞かれても「好々」と答えるのみだった演義に対し、
史実では臥龍が諸葛亮、鳳雛が龐統であるとハッキリ答えている。

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