人物紹介 / 窄融


窄融

正しくは笮融と表記する。
陶謙、劉繇に仕えた武将にして後漢当時は「浮屠」と呼ばれていた仏教の信者。
三国志の本筋からは逸れるが、仏教史においては重要人物である。

陶謙の元で兵糧管理などを任されており、この間に三千人を収容できる程の仏教寺院を建立している。
しかしその財源は横領した兵糧であったりするなど、この頃から悪党としての一面も目立っていた。

曹操が徐州へ攻め込むと揚州へ逃れ、劉繇に仕える。
前述の物資横領に加え、揚州へ逃げる前に広陵太守・趙昱を殺害して現地で略奪するなどの悪行を重ねていたが、
仏教勢力として兵力を持っていることが無視できなかったのか太史慈のように冷遇されることはなかったようである。
揚州へ侵攻してきた孫策とも戦い一時は孫策を弓で負傷させるなどの活躍も見せたが、
孫策が矢傷で死んだという偽情報に引っかかって大敗している。

その後は劉繇とともに落ち延びるものの、最終的には劉繇とも争うようになり、逃走した先で地元の住民に捕まり殺されている。
仏教で言うところの、因果応報である。

なお呉書劉繇伝によると、彼が反乱を煽動したために、当時の諸葛一族の筆頭格だった諸葛玄が巻き込まれて死亡したとされる。
伴って諸葛玄の元に身を寄せていた諸葛亮・諸葛均兄弟は住処を失い、諸葛玄の知り合いである劉表の治める荊州に移住することを余儀なくされたと言う。
蜀書諸葛亮伝の記述とは全く違う異説ではあるのだが、仮にこちらが事実であったならば、彼がいなければ劉備と諸葛亮の出会いも無かったということになる。

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