人物紹介 / 孔融


孔融

儒家の祖・孔子こと孔丘20代目の子孫。

太史慈が東莱郡と青州の間に起こったいざこざで青州側の使者を騙したことで州側に恨まれ出奔すると、
太史慈の母親の面倒を見ていたという。
その後黄巾賊残党の管亥に攻められると、太史慈は恩返しとばかりに劉備の元へ援軍の使者に出向いている。

袁紹が勢力を拡大し、袁譚に攻められると許に逃亡して朝廷に仕え、自身の血筋から文人たちの中心となる。
曹操が南征する直前に、孫権の使者に曹操の悪口を吹き込んだとして妻子ともども処刑される。
これにより孔子の血統は途絶えてしまい、孔子の子孫を処刑したという事実は、後年曹操を非難する材料にもなっている。

ただの屁理屈も多かったという彼の毒舌を、曹操は大変に嫌っていたと伝わるが、
一族根絶やしという極刑中の極刑に値するほどの大罪かと言われたら疑問が残るところではある。
そのため曹操とは根深い政治的対立があったのではないか、曹操は孔一族の名望を強く警戒していたのではないか、
との見方もできなくはない。
彼の名声と文才は死してなお轟き続け、後に建安七子に数えられたほか、
文帝・曹丕は彼の詩文をこよなく愛し、孔融の遺した作品を届け出るものがあればその都度褒美を出したという。

直言と皮肉を好む気質で馬があったのか禰衡を高く評価しており、曹操に推挙したこともある。
(ただし禰衡自身が乗り気でなく、気が狂ったという口実で仕官を断っているが)

光栄の三国志シリーズでは独立勢力になることもあるが、劉繇も独立勢力のシナリオだと太史慈を取られて武官不在に陥る弱小勢力。
とはいえ中央から離れていて文官が多少いるため、弱小の中ではまだマシな方。

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