人物紹介 / 吾彦


吾彦

貧しい平民の出身ながら呉・晋の武将にまで上った才人。
身長八尺の堂々たる体躯を持ち、若い頃から勇猛果敢で、猛獣を素手で仕留めるほどの力があったという。
薛珝の堂々たる姿を見て感心していたら「お前も同じくらいには出世するぞ」と言われたとの逸話があり、
身分の低い頃から非凡な雰囲気を持っていたようである。

陸抗はそんな吾彦を抜擢したいと常々考えていたが、
出自が貧しく身分も下級将校に過ぎない彼を重用すれば他の者の反発に遭わないかと懸念していた。
そこで陸抗は一計を案じ、諸将を集めたところである者に狂人のふりをさせ、剣を抜いて暴れさせた。
他の諸将が恐れおののき逃げ出す中、吾彦だけは逃げ出さず堂々としていたため、その胆力は誰もが認めるところとなった。
果たして吾彦は部将として抜擢され、陸抗に従い反乱鎮圧などに活躍した。

孫晧の降伏後もその胆力と堂々たる態度は変わらず、
司馬炎に「なぜ呉は滅亡したか」と問われると薛瑩は孫晧の悪政をひたすら糾弾したが、
吾彦は「孫晧は英明で、呉の将兵も精鋭ばかりだ。滅亡は天命に過ぎぬ」と答えた。
そして他の者にさらに詰問されても堂々と答え続けたため、司馬炎に気に入られたという。

晋では各地の太守を歴任する政治家として活躍していたが、
かつての上官である陸抗・陸喜について司馬炎から尋ねられると、
大恩のある陸抗だけを持ち上げることはせず「名望は陸喜が上、功績は陸抗が上」と評した
(このことで陸抗の子らは彼を「恩知らず」と決めつけ常々悪口を言うようになるが、その狭量さを嗜められたという)。

なお各地の太守を歴任と書いたが、彼の場合は特に辺境統治のエキスパートとして活躍したため、
任地の範囲と転任距離が半端ではなく、赴任先を線で結ぶと中国全土をほぼ縦断してしまうほど。
三国志の人物としての知名度は決して高くないが、三国末期〜晋代に注目するコアな三国志・中国史ファンの間では話のネタにもなったりする西晋随一の転勤王である。
興味を持たれた方はマップで調べてみよう。

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