胡奮の娘にして司馬炎の側室の一人。
その待遇は正室の次に厚く、最終的には貴嬪という皇后のすぐ下の位に就いた。
皇帝に即位した司馬炎が後宮に五千人の女性を囲い、特に気に入った者には赤い絹を結んだ。
胡芳もその一人に選ばれると声を上げて泣き、周囲に「陛下に聞こえてしまうからやめなさい」と止められると
「死ぬのも怖くないというのにどうして陛下を恐れなければならないのか」と突っぱねている。
ある日には司馬炎が投壺(壺に矢を投げ入れる一種のダーツ)の遊びをしていた際、矢で司馬炎の指を傷つけてしまったことがあった。
さすがの司馬炎も怒り「お前はやはり匈奴を討った将軍の子だな」と罵った所へ
「北の公孫は討ちましたが、西の諸葛には及ばないので、将軍の子ではありません」
と返し、司馬炎をたじろがせたという。
のちに司馬炎は後宮に一万もの女性を囲ったが、それでももっとも愛した寵姫は胡芳だったようで、
正室の楊艶が死に際、胡芳に正室の座がうばわれるのではないかと恐れ、
夫に対し、後妻には自分の従妹である楊芷を強く推薦したという。