人物紹介 / 虞翻


虞翻

その剛直さから、陳寿から「古の狂直」と評された文官。 ただし幼少の頃から気に入らない人物を罵倒する性格があったようである。

彼が12歳の頃、とある有力者が虞翻の兄を訪ねたが弟である虞翻のことはスルーして帰ってしまったことがあった。
これに対して「琥珀は腐ったゴミを吸わず、磁石は曲がった針を吸い付けないと聞きます。
あなたが私の元に来なかったのは不思議でも何でもありません」
と書いた手紙を送り、その有力者に感心されたという。
このエピソードが「琥珀は腐芥を取らず」という故事成語の由来になっている。

三国志演義では、かつて仕えていた王朗が孫策との戦で苦戦していた際に、ハッキリと孫策への降伏をすすめた。
王朗の怒りを買った虞翻は彼を見限り自ら野に下った。
吉川三国志では、その際に飼っていた籠の中の小鳥を自らの境遇と重ね合わせ、空に逃がしてやるシーンが印象的である。
撤退台詞の「好きなところに行け」はこの場面がモチーフか
なお、正史では王朗と仲違いすることはなく、それどころか父の喪中に駆けつけて王朗の身の安全を図っている。

その後会稽を支配することになった孫策とは、友人として扱われた他、
単独行動が目立つ孫策を諌めれば、(一応その場は)聞き入れたりとある程度上手くやっていたことが伺える。
また本作中では文官扱いだが、孫策の先導や護衛を務めるべく足の速さや矛の技量をアピールしていたり、孫策の戦に同行してそれなりの武功を挙げていたり、孫策死没直後の孫繊並浩鼎了辧孫瑜の兄)の蜂起に素早く対応したりと、個人的武勇や兵の統率力にも特に不足はなかったようだ。

フレーバーテキストにある「自ら降伏させた武将を罵倒した」というのは糜芳のことだが、
彼以外にも捕虜として蜀から呉に身柄を預けられた于禁のことも痛烈に罵倒している。

孫呉でも有数の賢者である彼だが、直言と皮肉を好み思ったことは何でも言ってしまう性格は、歳を重ねても治ることはなく、
その無遠慮さはしばしば孫権や呉の諸将との間にトラブルを引き起こした。酒の席での失言・失敗も多かったと言う。
孫権も彼の度重なる傲岸不遜を腹に据えかねていたようで、あるとき直接皮肉られるとついに決断し、虞翻を交州に左遷してしまった。
虞翻は遠い交州の地で、弟子を集め学問を教えて余生を過ごしたと言う。